迷    妄   <系図を見る>

その1

大田皇女は二十数年の短い歳月ではかなくなってしまった。
 しかし、あわれなのは遺された幼い子供たちだった。
年長の皇女で七歳、弟の大津皇子はまだ五歳だ。
母系社会であった当時、この幼子たちは、母を亡くして頼るべき人をなくしてしまったことになる。

「我は政務が忙しく、子供たちの面倒をみている暇
(いとま)はありません。
大伯も大津も、二人の叔母である鵜野皇女に預けます。」
 大海人皇子はそういったが、中大兄皇子は返事を濁した。

「しかし、大海人。鵜野には草壁皇子という実子がいる。
実子がいる上での養育となるとたとえ姪や甥といえど、肩身の狭い思いをするものだ」

「しかし兄上。
大田姫亡き今、大伯と大津にとって一番の養育者は鵜野皇女だと思うのですが」

「いいや、大海人。
大伯姫も大津皇子もそなたの子じゃが、我の孫でもある。
鵜野に渡すことはこのわたしが許さぬ」
 兄の突然の言葉に大海人皇子は沈黙した。

「大伯姫も大津皇子も母を亡くして心細い立場じゃ。
だから我が二人を引き取って育てる」

「兄上……」
 大海人皇子は後の言葉が続かなかった。

「そちが承諾するのであればすぐにでも二人を連れて帰る。」
 大海人皇子は暫く考え込んでいたが、それが最良の選択なのかも知れないと思った。

自分一人で育てる訳にもいくまいし、
冷たく嫉妬深い鵜野皇女に母を亡くした幼子二人を渡すのも、気のすすむことではなかった。
「分かりました。兄上のお心をありがたく受け取ります」
 大海人皇子の言葉に中大兄皇子は安心し、
部屋を出た後、直ぐに皇女と大津皇子に会いにいったようだった。



 中大兄皇子が皇女と大津皇子を引き取るために館を訪れたのはそれから数日後のことだった。

「大伯姫、大津皇子。こちらがそなた達の母代わりになってくれる倭姫王だ」
 倭姫王
(やまとひめのおおきみ)というのは、
中大兄皇子の大后だということで、皇女はその名くらいは聞いたことがあった。

「およろしくね。皇女さま。皇子さま」
 そう遠慮がちに言った声はきつい感じは受けなかったが、異常なほど抑揚がなかった。
母、大田皇女の優しげな声に似ているとも思ったが、
優しげというよりは弱々しい声音だった。

「さあ、大伯姫も大津皇子も母上にご挨拶せよ」
 中大兄皇子の言葉に、皇女は顔を上げた。
 
初めて見る倭姫王の顔は血が通っていないのかと思うくらいに真っ白だった。
「よろしくお願いします。大后
(おおきさき)さま」
 そう咄嗟に言った途端、
皇女は倭姫王の顔に他のどの女人にもみられなかった影をみた。

中大兄皇子の第一の妻で、大后というこの国で最高の身分である倭姫王が、
夫、中大兄皇子に、父が謀反の疑いをかけられて一族皆を滅ぼされた薄倖の女人であることを皇女はずっと後になって知った。

それから暫く、皇女は大津皇子と倭姫王とともに唐菓子を食べながら談笑した。
 倭姫王の淋しげな様子は否めなかったが、
話をしていく内に、その心根の優しさに触れ、皇女は次第にうちとけていった。
大津皇子に限っては、
最早倭姫王の裳の裾をつかんで相手をしてくれ、とせがんでいた。

一刻あまり経った頃、中大兄皇子が部屋に入ってきて、
二人ともすっかり新しい母に馴染んだようじゃの、などと他愛無い話をした。
 祖父にあたる中大兄皇子の館とはいえ、
住み慣れた家を出ていくことに抵抗を覚えた皇女も、
この方となら、と倭姫王にたいそうな好感を持った。

それから、数週間の月日が流れた。
 祖父の中大兄皇子は政務が忙しく、
皇女や大津皇子をかまっている時間はあまりなかったが、
倭姫王と大津皇子との平穏な暮らしに皇女は満足していた。

そんな或る日、突然中大兄皇子が倭姫王と大津皇子は呼ばずに、
皇女だけを呼び出した。
 皇女は祖父の突然の呼び出しに、ただならぬものを感じたが、
いざ祖父の部屋に入ると、祖父はいつもとかわらぬ風情ですわっている。
皇女はやや安心した。

「大伯姫」
 祖父は呼びかけた。



その2     <系図を見る>

「ここでの暮らしはどうじゃ」
 他愛のない問いかけに皇女は安堵し、
「はい。大津はもうすっかり倭姫さまに馴染んだようですし、
わたくしもあの方はとても心根のお優しい安心できるお人柄だと思います」
 と答えた。

「家や大海人が恋しくはないか?」
 祖父は微笑した。

しかし皇女はなにか冷たく堅い棒で背中を殴られたような衝撃を覚えた。
 そういえば、ここに来ての数週間、父を思い出したことがなかった。
 それはここに馴染んでいる証拠だと一瞬思ったが、そうではない。
自分より馴染んでいる様子の大津皇子も時々は父の話をしている。
 それなのに自分は倭姫王や弟のこと、祖父のことを考えることはあっても、
家にいる父や亡くなった母のことを思い出したことが一度もなかった。

「どうした、大伯姫。急に家が恋しゅうなったか?」
 祖父は相変わらず微笑している。

「いえ、お祖父さま」
 皇女は凍てついたままそう答えていた。

「倭姫王も、早くに身内を亡くして子供にも恵まれず、思えばあわれな女人だ。
しかし、大伯姫。
そなた達が来て少しは淋しさも薄れたようじゃ。
最近は少し表情も明るくなってきて我は嬉しい」
 祖父はそういうと白湯をすすった。
「しかし、そなた達を見るにつけても我は若くに世を去ったそなたの母があわれじゃ」
 祖父の言葉を聞いて皇女はまた、
今度は金棒で頭を殴られたような衝撃にかられた。

情が固く、ときに冷酷な祖父があわれという言葉を発したのを、皇女は聞いたことがない。
 孫の前で気が緩んでいるのかも知れないが、
厳しい政争の中で生きてきた中大兄皇子が孫の顔くらいで気を抜く筈もなかった。

「皇女さま。ご夕食ができましたよ」
 倭姫王の声と大津皇子のはしゃぐ声に皇女は席をはずしたが、
部屋を出るときの中大兄皇子の影のような横顔に尋常でないものを感じた。

実はこのときからすでに中大兄皇子は病に侵されており六七一年、
その崩御の報せが国中に伝えられた。

漢風諡号天智天皇――



 中大兄皇子が亡くなるまでの数年は、皇女にとってめまぐるしいほどの変化があった。
 まず、都が遷った。
 皇女も大津皇子も、旅の途中で産まれたが、物心がついた頃には既に飛鳥にいた。
以後ずっと飛鳥で暮らしてきたのだが、
中大兄皇子が近江に都を造り、重臣や皇族たちは皆こぞって近江に引っ越した。
 中大兄皇子が、住み慣れた飛鳥を離れて近江に都を造ったのは、
対外的な事情とともに、息子、大友皇子への思いがあったのだろう。
中大兄皇子は嬬
(つま)の数は多かったが、
皇族の嬬が産んだ皇子は一人としていなかった。
皇位につく資格のある皇子に恵まれなかったため、
中大兄皇子は皇女たちの父、大海人皇子を皇太弟として、後継者にと考えていた。

しかし、中大兄皇子は、宅子
(やかこ)という女人の産んだ大友皇子を大変愛していた。
 大友皇子の逞しく成長した姿に、中大兄皇子は、自らの体調の不安も加わって、
大海人皇子ではなくこの皇子にこそ、自らの築いたすべてのものを譲りたい、
と考えはじめたのかもしれない。

大友皇子を太政大臣とし、大海人皇子と額田王の娘、十市皇女を妃として与えた。
 大友皇子は父の宮を頻繁に訪ね、皇女と会う機会も多かった。

大友皇子は中大兄皇子と長い間話をして、夜になると自分の宮に帰っていった。
 皇女は、大友皇子と言葉を交すことはなかったが、その姿は頻繁に見かけた。
中大兄皇子によく似た、横顔のすっきりとした色白の美男子であった。
 中大兄皇子は、最期までこの皇子の行く末を案じ、亡くなったという。

中大兄皇子が寵愛し、晩年になって皇位を譲りたいと願った大友皇子と
以前から定められていた皇太弟、大海人皇子との仲は、自然と不和になり、
大海人皇子は皇女と大津皇子のいる中大兄皇子の宮をほとんど訪ねなくなった。
 皇女も、父のことを忘れていった。

しかし、ある日突然、父が中大兄皇子の呼び出しで宮を訪れたのだ。
父は、今まで見たことのなかったような嶮しい顔をして祖父の病室に入っていった。
 暫くして、父は何事もなかったかのように病室から出てきた。
しかし、皇女は一瞬それを父だと信じられなかった。
頭を丸め、粗末な袈裟をかぶっている。

父は出家したのだ。

暫くして皇女は、
父が鵜野皇女とその息子草壁皇子、釆女の生んだ刑部皇子
(おさかべのみこ)を連れて、
出家僧として吉野に行ってしまった、と人伝に聞いた。
皇女はお身体に気をつけて、と父への言伝を、知らせてきた女人に頼んだが、
隣にいた大津皇子はどうして草壁を連れていって自分を連れていってくれなかったのだ、
と泣いた。

「父君には色々とご事情がおありなのです」
 倭姫王はそう言って大津皇子をなだめた。

暫くして、倭姫王は中大兄皇子に呼ばれて席を外したので、
「山奥の暮しは辛いことがたくさんあるでしょう。
でも、わたくしたちはここにいて倭姫さまに孝行しなければなりません」
 と、皇女も弟をなだめた。

それでも父上とともに山へでも川へでも行きたかったのだ、と大津皇子は駄々をこねた。

皇女が途方にくれていると、
倭姫王が白い顔を真っ赤にして部屋に飛び込んできた。

そして皇女と大津皇子に、
「たった今、中大兄さまが亡くなりました」
 と告げた。

告げた途端、また倭姫王は泣き崩れた。
 皇女は大津皇子の手を引き、倭姫王を支え、祖父の病室へ急いだ。

しかし、病室についた途端、皇女は大津皇子によりかかるようにして泣き崩れた。
床にひざまずき号泣した。
 倭姫王も同じような姿勢をしていただろう。
 その中で、大津皇子は目に涙をためつつ我慢していた。
そして、泣きすがる姉と倭姫王を子供ながら案じた。
 中大兄皇子の殯の最中も皇女は食事も摂られないほど嘆き悲しんだ。

 そして或る日、倭姫王は泣き疲れた皇女に、中大兄皇子に詠んだ挽歌を見せた。
 

その3     <系図を見る>

青旗の木幡のうへを通ふとは目にはみれどもたゞに逢はぬかも

 皇女は声に出して読んでみた。
しかし、その意味が理解できなかった。
もう一度読んでみる。やはり分からない。
 青旗
(あをはた)というのは木幡(こはた)にかかる枕詞であり、木幡は地名だ。
木幡の上を通っているのは祖父の、み魂
(たま)にちがいない。
 しかし、目にはみれども……という下の句が分からなかった。
 普段の皇女なら何でも倭姫王に尋ねただろう。
しかし、これを聞くのは何となく気が引けた。
 皇女が黙っていると、倭姫王はもう一首、歌を見せた。

人はよし思ひ止むとも玉かづら影に見えつゝ忘らえぬかも

 この歌は皇女にもはっきりと意味が分かった。
他の人は忘れることがあっても自分は天皇のことがわすれられない、という意味だ。
 天皇への思いをそのまま詠った素直な作だ、と皇女は思った。
こんな素直な歌もいいが、皇女が心惹かれたのは一首目の歌だった。
皇女は普段倭歌にさほど興味をもったことはなく、
皇族としてのたしなみ程度に詠むだけだったが、
倭姫王のこの歌だけは、皇女の心に住みついて、離れなかった。

皇女は自分も祖父への挽歌を詠もう、と思ってもみたが、
倭姫王以上の歌を詠む自信はなく、その後も鬱々とした日々を送った。

そんなある朝、皇女の身体にちょっとした異変が起こった。
 目がさめると何ということはなかったのだが、やたら頭が重いことに気付いた。
風邪でもひいたのかしら、と思いつつ起き上がると、今度は激しい目眩
(めまい)に襲われた。
「一体、どうしたのだろう」
 皇女は戸惑いつつも、倭姫王にこの異変を言って薬師を呼んでもらおうと、目眩を恐れつつも立ち上がった。
 すると、恥ずかしながら股間に違和感を覚えた。
歩くと、ぬるっとしたものが股間に疼いた。
 皇女は羞恥心と不安に怯えながら、倭姫王に身に起こった異変を告げた。

「着物をごらんなさい」
 倭姫王はいつもと変わらない表情を浮かべ、
にこやかに笑みさえたたえて戸惑う皇女に語りかけた。

「あっ」
 皇女は思わず声を上げた。
 そして顔からは一斉に血の気が引いていった。
 着物の腰から下の部分が、血のようなもので真っ赤に染まっている。

「大人になられたのです」
 倭姫王は優しい声で言った。

「こちらへお出なさい。お手当をしましょう」
 皇女は倭姫王のいうままに下半身を気にしつつ厠へ行った。
そして、脚についた血液を拭い、着物をかえた。
 しばらくして、大津皇子が、姉上は怪我でもなさったのか、と問うたが、皇女は答えなかった。

皇女は大人になったのだ。

皇女の性は女性だ。
だから、大人になるということは、一人前の女になるということでもある。
そのことへの戸惑いがなかったとはいえなかったが、
既に「大人」である筈の倭姫王の清楚で貞淑な様子に、
皇女は大人になることは恐れるべきことではないのだ、と確信した。

朝食をとって、湯あみを済ませると、今までの気分の悪さが嘘のようになくなった。
 午後からは、気持悪くないですか、と気遣う倭姫王に、
大丈夫です、と微笑しながら答え、大津皇子と琵琶湖の辺を散歩した。
 湖面に映る自分の姿をみて笑ったり、
岸辺に生えている葦を手でちぎってはこれがご飯です、
といって食べる真似をしたりと大津皇子と二人、他愛ない遊びに花を咲かせた。
 夕方になって日が陰ると、倭姫王も外にでて、皇女と大津皇子に花染めを教えた。
「この花はとてもきれいな色が出るのですよ」
 と話す倭姫王は、どこで摘んだのか紫草
(むらさきそう)を握っていた。

「この白い花がですか」
 皇女は尋ねた。

紫草はその名に似合わず、小振で白い花をつけていたからだ。
しかも、摘まれてから随分時間が経っているらしく、その花は醜くしおれていた。

「そうではありません。皇女さま。花染めに使うのはこの根です」
 そう言われて皇女は、初めてその根が濃い紫色をしているのに気が付いた。
「紫草が咲く季節には、辺一面、地面が紫に染まるのです」
 皇女は暫し沈黙した。

紫草がどの季節に咲くのかは知らないが、
辺一面濃い紫に染まっている様は考えただけで艶やかだった。
 皇女は倭姫王に教えられて、真っ白な布を紫に染めた。
とても使えるような出来ではなかったが、白い布を染めていく作業そのものが皇女には楽しかった。

その夜は湖でとれたらしい川魚を食べて、床に入った。
 そうして日を重ねていくうちに、穢の日々も去った。

寝具の汚れを気にせずに寝めるのは久しぶりのような気がして、
皇女はその夜、いつもより深い眠りに入った。

「皇女さま、起きてください。皇女さま」
 皇女は深夜、倭姫王の声に目覚めた。
目は開けたものの、まだ夢うつつの様な心地がして、皇女はもう一度眠りの世界に入ろうとした。

しかし次の瞬間、皇女の意識は完全に覚醒した。
吉野へ行った父、大海人皇子の舎人
(とねり)が門前に立っているというのだ。

その4     <系図を見る>

 隣に寝ていた大津皇子はもう身支度を終えていた。
皇女はとりあえず寝巻きの上に薄い布を羽織って倭姫王と大津皇子とともに外に出た。
 門前の舎人は身の回りの世話をしていた女人に向かって何か話していた。

「倭姫さまが来られました」

女人の一人がそう告げると、舎人は畏れ多うございますが、
と断りつつ、倭姫王に嶮
(けわ)しい顔で用件を話しはじめた。
 聞いている倭姫王の顔もだんだん嶮しくなってきた。
 皇女は深夜の風の冷たさにそっと身震いした。

「皇女さま。皇子さま」
 倭姫王は普段の顔に戻っていたが、その声が尋常でなかった。

一体なにがあったのですか
 皇女が問いかける間もなく、倭姫王は続けた。
「父君がお呼びです」

―何ですって
 皇女は思った。
父は出家して吉野へ行ったと聞いている。

「父君の、大海人皇子さまが、皇女さまと皇子さまをお呼びです。
ご長男の高市皇子
(たけちのみこ)さまは、狩に行く、と言ってもう父君のもとへ向かわれたそうです」
 
出家した父が自分達を呼んでいる。
 そして既に高市皇子はもう都を出たという。
狩に行く、というからには武器を持って行ったのだろう。
 皇女は大人たちの話の節々に尋常でないものを感じた。

「分かりました。今直ぐ父上のもとへ参ります」
 すぐ近くで響いた凛とした声に皇女は振り返った。
「そして命をかけて父上のお手伝いをいたします」

―あっ

皇女は後の言葉が続かなかった。その声は二歳年下の弟、大津皇子のものだった。

「では皇子さま、皇女さま。馬へお乗りください。
夜風が冷とうございますがご辛抱ください。
それと、倭姫王さまはここにお残りください。
皇子さまと皇女さまのお守りご苦労さまでした」
 父の舎人はそう言うと、まず大津皇子を馬に乗せようと、側に招いた。
大津皇子はまだ幼さの残る顔をキっと上げると、舎人に従った。

―大津…っ
 皇女は心の中でそう叫ぶと、大津皇子の手をつかんだ。

「やめなさい。こんな真夜中に馬に乗って出かけるなど。
大勢の舎人を連れてこそこそと都を出るなど、まるで戦いではありませんか」

―戦い
 皇女は自分の口から出た言葉に身震いした。

「しかし、父上がお呼びなのですよ」
 大津皇子は言った。その声には少しの乱れも感じられなかった。

「でも…」
 皇女は何か言い返そうとした。
しかし、言葉を発したのは舎人が先だった。
「そうです。皇女さま。さあ、馬にお乗りください。
早くなさらなければ夜が明けてしまいます」
 皇女は大津皇子を見つめたまま、微動だにしなかった。
その間に舎人たちは大津皇子に形ばかりの武装をさせ、馬にのせてしまった。

「さあ、姉さんもはやく」
 大津皇子は昔の口調そのままに皇女を誘った。
馬にくくりつけられて身動きができなくなった為か、僅
(わず)かに不安を浮べている。
 皇女は相変わらず凍てついたまま物も言わない。
「姉さん」
 大津皇子の声はやや湿り気を含んでいた。
「さあ、姉さん。これが姉さんの馬」
 大津皇子は連銭葦毛
(れんぜんあしげ)の馬を指差して、気をとりなおしたように言った。

「いいえ…」
 やっと口を開いた皇女の声は湖をわたる風の音にかき消されそうだった。
大津皇子は大きい目を見開いて姉の反応を窺っている。

「そなた一人でお行きなさい」
 皇女は母代わりにと片時も離れず慈しんできた弟を、このとき初めて突き放した。
「姉さん」
「皇女さま」
 湿り気をました大津皇子の声と狼狽
(ろうばい)した舎人の声が皇女の上を続けざまに通り過ぎていった。

「わたくしは参りません。ここに残らせていただきます」
 葦のざわめく音が止んだ後、皇女ははっきりと言った。
 舎人たちは一瞬沈黙した。
そして、互いにこそこそと話し合い、決着が着いた後、
「分かりました。倭姫王さまと皇女さまはここにお残りください。
大津皇子さまは、われらで責任を持って大海人皇子さまのもとへお送りいたします」
 と告げた。

姉と一緒ではなく自分一人で行かなくてはならないことを知った大津皇子は、
露を含んだ目で、皇女と倭姫王を見た。

大津皇子の乗った馬が出発する。

「待って。待ちなさい」
 白い手を伸ばしてなおも止めんとする皇女のもう一方の手を握って倭姫王は、
「皇女さまはわたくしが責任を持ってお守りします。
大海人皇子さまによろしくお伝えください。では道中お気をつけて」
 と言った。

「大津…」
 皇女は倭姫王とともに目を真っ赤にして大津皇子を見送った。
涙に濡れた頬に夜風が冷たかった。


その5     <系図を見る>

 大津皇子が行ってしまった。

皇女はその後、ずっと眠れぬ夜を過ごしてきた。
 弟と離ればなれになってしまったことだけではない。
 最近、どこかでとんでもなく重い空気が発生し、
その空気が倭姫王と暮らしている宮に、
ついには皇女自身に重くまとわりついてくるような錯覚を覚える。
 実際、蘇我赤兄
(そがのあかえ)や中臣金(なかとみのこがね)などという重臣が
大友皇子がいるらしい宮に錆び付いたような暗い顔をして通っていくのを皇女は何度も見かけた。

何かが起こるかもしれない。
皇女は悪い予感にかられた。
単なる杞憂だと、いくら自分にいい聞かせても、
恐ろしい予感を拭いきれず、鬱々と思いめぐらす日々が続いた。
 その内に、何かしら吐き気と動悸を覚え、ずっと気持が悪く、食事も摂られなくなった。

倭姫王はたいそう心配したが、皇女は
「なんでもないのです」
 と言うことしかできなかった。

「悩んでいないでお話しなさい。わたくしでよければ何でも相談にのりますよ」
 堪りかねた倭姫王は寝支度をはじめた皇女に語りかけた。
「大友皇子さまはどうお暮しでしょう」
 どうして大友皇子の名が出てきたのか、自分でも分からなかった。

「ええ、皇子さまは父君、中大兄皇子さまがやり残したお仕事に毎日励まれておいでです」
 倭姫王の完全な答えに皇女は何も話すことがなくなった。
「でも、吉野に行かれた大海人皇子さまのことは気にかけておいでの様でした」
 倭姫王のあまりにも重い一言に皇女は絶句した。
「わたくしも大友皇子さまには最近会っていませんからね。
詳しいことは何も分かりません」
 倭姫王はとりなすように言った。
しかし皇女は倭姫王の不意に向けた横顔にどうしようもない孤独を感じた。

中大兄皇子という夫を子供もないまま亡くした倭姫王は、
自分達を迎えた今も、絶え間のない孤独と戦っているのかもしれない。

「でもね、皇女さま。
最後に大友皇子さまとお会いしたときに、
皇子さまは皇女さまのことを話しておいででしたよ」

「わたくしのことを?」
 皇女は覚えず聞き返した。

「ええ。皇女さまのお名の大伯の字、その字が…」
 倭姫王はそう言うと、筆を墨に浸し、紙の端切れに「伯」の字を書いた。
「この字は唐の国の言葉で『神』の意味なのです」
 皇女は一瞬倭姫王の言う意味が理解できなかった。
 倭姫王は相変わらず微笑しながら皇女を見守っている。

―あっ
 
皇女は意味を理解したその瞬間、何ともいえない悦びに身震いした。
「これは本当ですよ、皇女さま」
 倭姫王の言葉に悦びを再度確認した皇女は、
大友皇子の涼しげな横顔を思い出した。

「この他にも大友皇子さまは、様々なお話をしてくださりましたが、
どれも難しくてわたくしには分かりませんでした。
でも、この話だけははっきりと覚えていますよ」
 倭姫王はそう言って皇女の細指に自分の手を合わせた。
「だから皇女さま。ご自分のお名を大切になさいませ」
 この薄倖
(はっこう)の女人は皇女の未来を言祝(ことほ)ぐほうにそう語りかけ、
白い腕で皇女を抱きしめた。

「はい。倭姫さま」
 皇女も倭姫王の手の中でかすかに答えた。

―ご自分のお名を大切になさいませ 
 
皇女が終世忘れることのなかったこの言葉が
倭姫王の最期の言葉だった。
この数日後、倭姫王は世を去った。

「湖畔」 完

「凱旋」へ続く

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▼物語への一言感想をお願いします♪        かきこめ〜る Ver.2.011 by St.Night Moon

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