[PHOTO集]補陀洛山寺
2004.05.03


和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮348

補陀洛・・・なんだか難しくて字面を見てもピンと来ない寺号ですね。
補陀洛は「ふだらく」と読みます。
広辞苑で調べると、梵語Potalakaを音写したもので、
観世音菩薩が住む山』という意味だそうです。

このお寺を紹介するのに欠かせないのが補陀洛渡海です。
ちょっとびっくりするような、荒行を超えた行です…!



←の写真をご覧下さい!!

この船は復元ですが、「那智参詣曼荼羅」をもとに作られたそうです。

この船に乗ってどこに行くのでしょう? そうです! 
補陀洛、つまり南海の果てにあると信じられていた観音の浄土に行くのです。
補陀洛渡海とは・・・

わずかな水や食糧、油が用意された船に乗り、入ると中から出られないように釘が打たれます。そして船は、大勢の僧や山伏、里人らに見送られれながら沖へ引かれていきます。沖に出ると、そこで同行船は白綱を切り、切り離された船は、観音浄土をめざし、南海の彼方へ船出していくのです。つまり、入水による入滅(生きたまま仏になること)の行なのだそうです。
写真の石碑に名前が刻まれています。

古代から近世にかけて、熊野那智の海岸から補陀洛渡海を行った聖(ひじり)は、確認されているだけで24人にのぼるそうです。

上人たちにまじって、なぜか「
平維盛」の名が・・・?

恐ろしい行ですね〜
でも、近世になってからは、金光坊が渡海を拒んで島にあがったのを、
無理矢理入水させたという伝説もあり、
生きながら渡海するという習慣はなくなり、
住職が死亡した場合、
かつての補陀洛渡海の方法で、水葬をするという儀式に変わっていったそうです〜(^^)


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