[PHOTO集] 談山神社
2006.11.23

大化改新発祥の地…というキャッチフレーズに惹かれて
紅葉真っ盛りの奈良を訪れてみました☆

今日は勤労感謝の日!
その上に、この週末あたりが近畿地方紅葉のピークでもあるとのこと。

なのに・・・

前日の天気予報では、今日のお天気は雨模様で、
しかも最高気温が12度
気温12度でビビるなど、寒い地方にお住まいの方にとっては信じられないことでしょうが、
この時期でも、このあたりは暖冬の影響もあり、
お天気のいい日には、まだまだ20度近くまで気温が上がるのです!
よって、ぱいんたちにとって、12度というのは極寒の寒さなのですよぉ!!

が、さすがはダーリン♪
そこで一言。
天気予報がこれじゃぁ、きっとどこもすいてるはず。
念のために京都を外して奈良にしたら、スイスイやで〜と。

そこで、大慌てで、車に乗ってから決定したのが、ここ
談山神社なのでした☆★

スイスイやで〜!
というダーリンの言葉通り、確かに道路は渋滞もなく、
快調に現地に到着いたしました。

ところが・・・。
現地が近づくにつれ、大型の観光バスとすれ違うことすれ違うこと。
え?
ここって、そんな人気スポットだったの?

まあ毎度の事ながら、朝の苦手なぱいんは、
休日の朝寝坊を楽しんで、10時半頃に家を出発したのでありました。
なので、現地到着は12時過ぎ。
観光バスの午前ルートにこの神社を組んでいたとしたら、
ちょうど、皆さんが帰る時間だったというわけです。

にしても、すごい観光バス、そして車・・・。
「入り口まで徒歩25分」と書かれた看板の前まで来たとき、
とうとう車は止まってしまいました。

以後、車を駐車場に入れるまで、所要時間30分。
もう12時半を過ぎています…。
あぁ、お腹すいたよぉ〜(>_<)

後醍醐天皇御寄進の「石燈籠」

駐車場待ちの渋滞の中、
「吉野まで30分」という道路標識を見つけました。

そのせいかどうかは分かりませんが、
↑の写真の鳥居の近くにに、
こんな「石燈籠」が建っておりました。

竿に、南北朝動乱の始まった年、
元徳3年(1331年)の刻銘があり、
後醍醐天皇の寄進と伝えられているそうです。
雄大かつ装飾性豊かな名品だそうですよ〜♪

なんとか、車を駐車場に入れ、
きつねうどんで腹ごしらえをしたぱいんが、
おみやげ物屋さんが並ぶ一角で、
↑まず出会ったのは、この後醍醐天皇ゆかりの燈籠でした↑

談山神社・本殿

藤原鎌足公を祀る旧・別格官幣社。
大宝元年(701年)の創建ですが、
現在の本殿は、
嘉永三年(1850年)に再建されたものだそうです。

三間社隅木入春日造、
朱塗り極彩色の豪華絢爛たる様式で、
世に名高い名建物だそうです。

朱塗りの鮮やかさがそこかしこに残っていて、
とても美しい建物でしたが、
建築様式については全くの不案内ぱいんなので、
資料そのままを転記いたします。

参道のおみやげ物屋さんをのぞいていると、
「西国の日光」というポスターをよく見かけました。
いったいどういう意味なのだろうと思っていましたら・・・。

右の写真に、
「三つ葉葵」の紋章が見えますでしょうか?
言わずと知れた徳川家の紋章です。

何故ここに徳川家の紋章があるのか?!
宮司さんがこんな話をしてくれました。
江戸幕府初代将軍の徳川家康が亡くなったとき、
彼の偉業にふさわしい神社を建てようと、幕府の役人たちが、全国の神社の視察に出掛けました。
その結果、最も美しく、そして、最も雄大であるのは、ここ談山神社であるとの結論に達したそうです。
で、談山神社の本殿を模して建築されたのが
「日光東照宮」なのだそうです。

本来なら、
談山神社が「西国の日光」ではなく、
日光東照宮が「東国の談山神社」なのになぁ…。
でも、これも時代の動きだから仕方ないよなぁ…なんて、
宮司さんは苦笑しておられましたが。

本殿の後ろに見える裏山で、
飛鳥・法興寺の蹴鞠会で出会った、
若き日の中大兄皇子(後の天智天皇)と、
中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、
藤の花の盛りの頃、
ここで蘇我氏打倒の極秘の談合をしたそうです。

裏山は、今も原生林で、
人の手は一切入っていないそうです。

この言い伝えが真実かどうかはともかくとして、
なんとなく、古代にタイムスリップしたような、
そんな神秘的な気持ちになれる場所でした☆★

天智天皇8年(669年)10月、鎌足の病が重いと知った天皇は自らその病床を見舞います。
そして後日、天皇は鎌足に、
大織冠内大臣という人臣最高位を授け、藤原の姓を賜えます。
後に隆盛を極める藤原氏はここに始まったというわけです。


鎌足は、没後、
摂津国阿威山(現在の高槻市)に葬られますが、
彼の死後の白鳳7年(678年)、
唐から帰国した長男・ジョウエ
(↑すみません…漢字が出ませんでした)が、
遺骨の一部を多武峰山頂に改葬し、
この十三重の塔を建立しました。

現存のものは、享禄五年(1532年)の再建で、
木造十三重塔としては、
現存する我が国唯一の貴重な建造物だそうです。



↑なんとも見事な紅葉の写真を一つ。
なんだかんだとうんちくを語ってきましたが、
実は、これらのお話は神社の宮司さんの受け売りです。
しかも、この解説は、「ドラゴンツアー」なるツアー客向けの説明だったのですが、
ちゃっかりとツアー客になりすまして、一番前で聞いていたぱいんなのでした〜(^^ゞ


ちょっとおまけ

談山神社に行く途中、天皇陵を見かけました。
お馴染みの形式の天皇陵ですが、
葬られてるとされているのはどの天皇でしょう…?



☆答えは、蘇我馬子に殺された崇峻天皇の御陵でした☆


さて、今回の紀行は、楽しんでいただけましたでしょうか?
また皆さまの紅葉便りを聞かせて下さいね〜(^O^)

= 完 =


古代史紀行topへ

ホームへ