おもいつき飛鳥旅行  H15.8.30


もう夏休みも終わりという8月の最終土曜日、急に思い立って、何の計画もなく明日香に行ってきました。
その日は35度を越す猛暑、ヘロヘロバテバテの明日香でした ^^;

メンバー

大津皇子に命をかけているAちゃん。
持統天皇の大ファンのMちゃん。
古代史だぁ〜い好きの、私ぱいん。
特に歴史に興味はないけど、たまたま暇してた運転手Tさん。



道の駅「二上山」

まず一行が向かったのは、Aちゃんの、たっての希望で、二上山の登山口となっている「道の駅 二上山」でした。


駐車場はけっこう込んでいました。
見たところ、来ている人たちが大津皇子を偲んでいる人たちには見えませんでしたが…
が、なんといっても、折りしもの猛暑。
強烈な太陽の光が、ジーンズを通しても、足に突き刺さってきます。

道の駅には、特に大津皇子関係の資料などなく、主に野菜などを売っておりました。
お花(特に仏花)もたくさん置いてあり、
道の駅の向かいにも大きなお花屋さんがあり、やはり仏花がたくさん置いてありました。

「みんな、ここでお花を買って、大津皇子さまのお墓に供えるんやわ。」とAちゃん。
目が完全にイッってしまっています。
そんなわけないだろう〜!と思ったけど、そんなこと言えるはずもありません。
ただひたすら、Aちゃんが山登りをするって言い出さないよう祈るばかりでありました。
そうなんです。
Aちゃんの愛する大津皇子さまのお墓は二上山の山頂にあるのです。

でも、さすがのAちゃんも、この猛暑はこたえたのか、
「涼しくなったら必ずお参りに来るからね。」と涙目で大津皇子さまに語りかけ、
私たち一行は、道の駅を去ったのでありました。
何をしにきたことやら…


石舞台古墳

なにせ”おもいつき”で来たもので、特に意味はありませんが、
まあとにかく明日香に来たんだから見ておこう…と軽いノリで立ち寄りました。


着いてみてびっくり!
駐車場がガラガラではありませんか!!
駐輪場も開店休業状態です。
今まで明日香には何回か行っておりますが、はっきり言ってこんなことは初めてです。
そりゃぁ、いくらなんでもこんな暑いときに、外を歩こうってバカはいないよなぁ…
なんて、自分たちの無謀さを、あらためて反省したのでありました。

先ほどは言い忘れましたが、私たち一行は早起きが何より苦手というメンバーで、
明日香行きも、朝も10時前になってから連絡を取り合い、急遽決まったのであります。

というわけで、もう石舞台に着いたときはお昼を回っていました。
なにせ暑いし、お腹はすいてるし、とにかくクーラーの効いたレストランに飛び込みました。
AちゃんとMちゃん、そして私は親子どんぶりを食べ、
Tさんは、万葉寿司だったか、明日香寿司だったか、いや〜どっちも違っていたかも(?)
とにかく、そういう郷土料理を食べました。(けっこうおいしかったとのことです)

ここで、各種いろいろなパンフレットをもらい、
飛鳥京ルネッサンス」というイベントのことも初めて知りました。
(「古代史あれこれ」のコーナーをみてね!)

で、腹ごしらえをすませた私たち一行は、だぁ〜い好きな明日香へ一歩踏み出したのでありました。
ですが、あ、あ、暑〜い!
(左)蘇我馬子の墓と伝えられる有名な石舞台古墳 (右)玄室の中
石舞台といえば、言わずと知れた蘇我馬子のお墓でございます。
正確には、伝馬子の墓(つまり馬子の墓とは断定されていないとのこと)なのだそうです。
なぜか盛り土を失っていて、キツネが昔ここで舞ったという伝承が「石舞台」の名の由来とか…
上の写真をご覧いただいたら分かるように、超巨大な古墳で、作られた時代から推定して、こんな大きなお墓を建てられる人物は、このあたりに勢力のあった蘇我馬子しかいないであろうということだそうです。
(でも、確定はされていません。)

75トン級の花崗岩が30数個使われていて、玄室の天井の石は特に巨大です。
しかし…まあご覧下さい。
こんな、観光客の全然写っていない石舞台の写真がまたと撮れるでしょうか?
この写真をご覧になったら、この日の明日香がいかに過酷な気象条件だったか分かっていただけると思います。

とまあ、そんなこんなで、あまりの猛暑に身もだえしつつ、
石舞台古墳の巨大さ、雲1つない青空に映える様に感動しつつ、私たちは石舞台を後にしたのでございました。

で、次はどこに行こう?
レストランでもらった地図を広げて作戦を練る私たち一行。
「歩くなんてダメ〜! 日射病になっちゃう!!」←二上山を見てもうすでに満足しているAちゃん。
「自転車はヤだぁ〜」←あまり自転車の運転が達者ではないMちゃん。

「仕方ない。今回はピンポイントにしたら?」という、Tさんのアドバイスで、
何とも根性のない私たち一行は、
どうしても見たかった飛鳥大仏を見に、車で飛鳥寺に向かったのでありました。


次に続く


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