「ヤサカ媛さま、タラシヒコさまから文が届きました。
ようやく熊襲を引き揚げてお戻りになると。
この6年の歳月の何と長かったこと…」
イナビ姫さまは、私の部屋に入ってくるなり、目を輝かせてそう言った。
それはもう、すでに通う姫を得ようかという年頃の息子たちがいるとは思えないほどのはしゃぎぶりだ。
でも、それを誰もが不思議に思わないような、大人とも少女とも言えない雰囲気が、イナビ姫さまには確かにあった。
姫さま育ちのイナビさまは、感情の起伏も激しく我が儘な一面、その育ちに違わぬ鷹揚な、どこか憎めない女性だ。
タラシヒコさまが都を留守にしてすでに6年。
同じく、夫の留守の寂しさをかこっていた年月は、私たちに友情に似た感情をもたらした。
でも、でも…そのタラシヒコさまがお帰りになる!
「ではでは…!
ようやくタラシヒコさまにお目にかかれるのですね。」
私も、若い娘に戻ったように目を輝かせた。
「そうよ。
まだ生まれたばかりだったワカタラシヒコ殿…あなたの皇子さまをご覧になってあの方は何とおっしゃるかしら。」
そう。
タラシヒコさまのご出陣の時には、まだ産まれたばかりだった私の皇子は、もう数え年8才となっていた。
「大碓さまや小碓さまも、早15才におなりですわ。
大碓さまのお背丈は、もうタラシヒコさまを超えられたのではないでしょうか。」
双子児としてお生まれになったイナビ姫さまの皇子、大碓さまと小碓さま。
中でも、大碓さまのご発育は早く、まだ数え年15だというのに、もう見上げるほどの長身になっている。
かたや小碓さまは、未だ少女と見まがうばかりの可憐さだ。
でもその中身は、見かけとは全くの逆なのだけれど。
「そうね、そうね。
あの方にお目にかかれるのが楽しみだわ。
ねぇ、ヤサカ媛さま。
私って、もう年をとってしまったかしら。
あの方は、私を見てがっかりなさるかしら…?」
イナビさまは、急にしょんぼりと下を向いた。
「いいえ、イナビ姫さま。
姫さまは、タラシヒコさまがご出陣された6年前とちっとも変わらずお美しいですわ。
そんなことをおっしゃったら、姫さまと2才しか違わない私も、
タラシヒコさまをがっかりさせるほど年をとってしまったことになりますわ。」
私は、お世辞ではなくそう言った。
「ありがとう、ヤサカ媛さま。
私、あなたがいたから、タラシヒコさまのいない6年間を何とか生きてこれたような気がするわ。
弟媛(おとひめ)の一件からあなたのお輿入れまでの間は、ずいぶん嫉妬もしましたけど。」
「私も嫉妬しましたわ。
タラシヒコさまが本当に求められたのは、私ではなく妹だったのですもの。
でも、今では妹に感謝しています。
だって、妹のおかげで、私はタラシヒコさまと結ばれることができたのですから。」
言葉とは裏腹に、きっと私の顔が曇ったことを見たからだろう。
「ごめんなさい、ヤサカ媛さま。
弟媛(おとひめ)の名など出した私が悪かったわ。
さあ、タラシヒコさまがご帰還されるときは、めいっぱいめかし込んで、
都の女が雛の女たちと違うってこと、タラシヒコさまに見せつけてやりましょう!」
イナビさまは、晴れ晴れとした顔でそう言った。
「タラシヒコさま。」
部屋で待つ愛しい人の名を、私は思わず呑み込んだ。
窓から冴え冴えとした月を見つめるタラシヒコさまの横顔は、かの月読命(つくよみのみこと)もかくや…と思われるほど美しかった。
私は見とれ、声をかけるのをためらったのだ。
いや、『月なんかより媛の方がはるかに美しいさ。』と、
いつものような、タラシヒコさまの明るい声がかかるのを待っていたのかも知れない。
タラシヒコさまが帰還されて数週間が過ぎた。
相変わらず女たらしで、調子がよくて…長い戦のやつれや、6年という歳月さえ、どうもタラシヒコさまの前だけは素通りしてしまったようだ。
しばらく、そんなタラシヒコさまに見とれていた私は、次の瞬間、我が目を疑った。
私が入ってきたことにも気付かず、じっと月を見つめていたタラシヒコさまの白い頬を、涙が一筋流れたのだ。
えっ!
たった一人、月を見つめて涙を流すタラシヒコさまなど、私は想像さえできなかった。
「あぁ、ヤサカ媛か。
熊襲で見た月も、都で見る月も、月だけはちっとも変わらないのだな。」
タラシヒコさまはそう言うと、照れたように笑った。
そして静かに語った。
熊襲で出会った市乾鹿文(いちふかや)姫のことを。
彼女を心から愛していたと。
「熊襲での戦のことは、都にも届いています。
熊襲を斃してからの6年間は、姫を忘れるために、タラシヒコさまにとっては必要な年月だったのですね。」
長い物語の後、私は言った。
「はははは・・・・
媛はやっぱりロマンチックだな。
そんなところが愛しいよ。」
そう言うと、タラシヒコさまは、私の肩を抱き寄せた。
私は小馬鹿にされたことが悔しくて、タラシヒコさまの手を邪険に振り払うと、
「だって、イナビ姫さまがおっしゃっていましたわ。
タラシヒコさまは、市乾鹿文(いちふかや)姫がお亡くなりになったあとの6年間は、決して女人を側に置かなかったと。
そんなことは、とっても珍しいことなのだって。」
と言った。
「女を側に置かなかったからといって、女を絶っていたというわけではないのだよ。」
「・・・・・」
「こんなことを言ったらあなたは気を悪くするかも知れないが、
私は、市乾鹿文(いちふかや)がいなくなってからの6年の間も、せっせと子作りに励んでいたのだよ。」
「子作りって・・・」
「私が女を口説いたからといって、イナビ姫などはいつも目くじらを立てるが、各地の長と血の絆を結ぶことは、私にとっては政治そのものなのだ。
私が帰還したのは、市乾鹿文(いちふかや)を忘れたからではない。
せっせと子作りに励んだ結果、熊襲一円が、私がいなくなっても大丈夫だとの目処が付いたからなのだ。」
「姫を忘れるために、無為な日を過ごしていたわけではないということなのですね…」
「さすがに、ヤサカ媛は怜悧だ。
それに、私は市乾鹿文を忘れようとしたことなど一度もないのだよ。
その証拠に、市乾鹿文はまだ、こんなにも鮮やかに私の心に住んでいる。」
「そんなにまで・・・!
姫はそのように美しい女人だったのですか?」
「二人の前には破滅しかないと分かっていても毎夜毎夜会わずにはいられなかった・・・
あのような激情が恋というのだということを、市乾鹿文が教えてくれたのだ。」
「では、なぜ?」
「だが、私たちは、立場も…名さえも捨てて二人の世界を築くことはできなかった。
最後の最後になって、私は王であり、市乾鹿文は邑の長であることを選んだのだ。
そして、市乾鹿文(いちふかや)は私が殺した・・・」
涙は、タラシヒコさまの頬を、再び濡らした。
「ねぇ、タラシヒコさま。
こんなお話を聞かされて、私は怒った方がいいのかしら。」
私は、邪険に払ったタラシヒコさまの手を再び取って、大切な宝物のように胸に抱いた。
( 続 く )
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2007年最初の更新・・・その上、前の更新から少し時間が空いてしまったので、今までの経緯を思い出すつもりで、今回のお話は展開してみました。 |
「ねぇ、神骨(かむぼね)。
大王の長子、大碓(おおうす)さまが美濃にやってくるそうよ。
大碓(おおうす)さまは、そなたの娘たちを見てなんと言うかしらね。」
媛は、婉然と微笑む。
「そのようなお戯れを…媛さま。
大碓(おおうす)さまは、大王の使いでおいでになるというのに。」
「ほほほほ・・・・
大王タラシヒコさまも相変わらずお盛んなことね。
都にお戻りになったと思ったら、さっそく、そなたの美しい娘たちに目を付けるなんて。
で、その評判が確かかどうかを、年頃の息子に見に行かせるなんて、甘いというか何というか…」
「妬いているのですか?」
私は意地悪く聞いてみた。
「え?
何を今さら。
私と大王の物語は、もう10年以上も前のことなのよ。」
そうだ…もう10年以上も前になるのか…。
それは、私がほんの少しの間、目を離したときのことだった。
大王が池に放った見事な錦鯉…好奇心に駆られた媛さまが池をのぞき込んだその瞬間、もう媛の袖は大王にとらえられていた。
「媛さまは、あのように美しい大王に、少しも心を動かされはしなかった?」
「私にはそなたがいたから。
幼いときに父母を失った私たち姉妹に、そなたはよく話してくれたわね、美濃の神々のことを。」
父母を亡くし、寄る辺を失った大王家の血をひく小さな姉妹。
私は手駒を得た。
幸い、都からは姫たちの処遇についてなんの沙汰もなかった。
私は、すでに都からは忘れ去られた姫たちに仕え、彼女らを養育した。
ことに、妹姫の弟媛(おとひめ)さまは私によくなつき、私以上に美濃を愛する姫に成長した。
私は純真な媛の心に繰り返し吹き込んだ。
国々が奉じている神を封じ、すべてを大和の神の序列に閉じ込めるのは悪だと。
「私は男に心を奪われたりなどしないわ。
今までも、そしてこれからもね。」
媛は言う。そして、
「まさか、そなたまで私のことを、男を持たぬ可哀想な女だと思っているわけではないでしょうね。」
と、涼しげな目で私を見た。
「いやいや、男は持っておられぬが、男の心をお持ちのお方だと。」
「ふふふふ・・・」
「だが、容姿はまことに麗しい。
大王と出会われた16才の頃と、ちっともお変わりになっていないような。」
「ふふ。
私はね、男を忘れることと引き替えに、年をとることも忘れたのよ。」
そう言うと、弟媛さまは少女の頃のように私の胸に頬を寄せた。
「そのご容姿なら、大王の妃の座をヤサカ媛さまにお譲りにならぬとも、その手で、大和をそっくり勝ち取ることができたかもしれませぬのに。」
「そうね、もしかしたらそうできたかも知れない。」
そう言うと、媛は目を閉じた。そして言った。
「こうして、そなたの胸の鼓動を聞いていると、神々の声が聞こえてくるわ。」と。
顔を上げた媛は、
「もし私が大王の妃となってしまったら、だれが神の声を聞けるというの?
そなたの、ただ美しいだけの娘たちが、神の声を聞き、そしてこの美濃を守っていけるかしら。
それに、私には大和をそっくり手に入れて意のままに操りたいなどという野心はないのよ。」
と、微笑んだ。
「では、なぜヤサカ媛さまを大王の妃に?」
「美濃は豊かな国よ。
でも、大王の庇護なしに、大王家から離れて独立できるなんて…そこまでうぬぼれてはいないわ。
大王家の力は必要よ。
だから、どうしてもお姉さまの皇子さまには皇位に就いてもらいたいの。」
媛は眉をひそめた。
「媛さまほどのお人が、人選を誤りましたかな?」
媛の顔が曇ったのを見て、私は言った。
「そうね、お姉さまにはがっかりだわ。
人のいいのがあの人の長所でもあるのだけど、せっかく、大王の皇子さまをお生みになったというのに、あのだらしなさはどう?」
媛は、大げさに溜息をつく。
「とかく女人が多い大王の閨房で、しっかりとその地位を築いておられると思いますが。」
「神骨。
そなたまでが、そんなことに満足するような男だったなんてがっかりだわ。」
「それ以上の野心をヤサカ媛さまに求めるのは、ちょっと荷が重いかと。」
「そうね。
でも、皇后イナビさまがお生みになった皇子方は、双子児なのよ。
しかも、体つきも、その性格さえ全く違うという・・・。
二人を仲違いさせるのなんて、それこそ赤子の手をひねるようなもの。
仲違いして、共倒れにでもなってくれたら、大王位は、そっくりお姉さまの皇子さまのものなのに。
あれほど、イナビさまや皇子方の近くにいながら、タラシヒコさまのお留守の間、ダラダラと仲良しごっこをしていたなんて笑止だわ。」
「で、大碓さまのご来訪に際して、弟媛さまは、何を企まれている?」
「何も。」
「?」
「美しい娘たちの元に、初心な少年がやってくる。
しかも娘たちは、父のお妃候補。
つまり目の前にはいても、手を触れることもできない禁忌の存在だわ。
さて、その中で何が起こるか…。
とりあえずは、それを見届けるつもりよ。」
私の可愛いお人形さん。
あなたは、私の期待以上の女人に育ってくれた。
「大碓さま。
遠いところを、このような鄙の地にようこそおいで下さいました。
娘たちでございます。
右が、姉の兄遠子(えとおこ)、そして左が、妹の弟遠子(おととおこ)でございます。」
「美しい・・・」
大碓さまは絶句した。
「所詮は鄙の娘たち…都におわす大王のお妃方には遠く及びませぬでしょうに。
ご覧になったままを、大王にご奏上下さいませ。」
私は言った。
そう言って、私は、水面に投げ入れられた小石が、どのような波紋を作るのか…その経過を待った。
だが・・・。
大碓さまは、一向に都へ帰ろうとしない。
かといって、娘のどちらかに求婚するというでもない。
ズルズルと、日だけが過ぎていった。
弟遠子は都の貴人に頬を染め、兄遠子は日に日に不機嫌になっていく…。
「神骨ったら、そなたらしくもない。
大碓さまは、とっくに兄遠子とも弟遠子とも通じているわよ。」
「そのような・・・!
娘たちにはそのような様子は…。
それに、大碓さまは、娘たちに求婚さえしてはおりませぬのに。」
「少年というより、そんな手順も知らない…大碓さまは、ただのコドモだったという訳ね。」
「・・・・・」
「まぁ、いいじゃない。
この件で、大碓さまは大王に誅されるにせよ、
このまま事なきを得るにしろ、大碓さまが大王の後継者の地位から外れたのだけは確かだわ。
これで小碓(おうす)さまが流行病を得て薨じられでもしたら…。
次の大王位は、お姉さまがお生みになったワカタラシヒコさまに転がり込むわね。」
「大碓さまを誑し込むのは、娘たちではなく、あなたさまでもよかったのでは?
大碓さまと弟媛さまが通じたとあれば、間違いなく、大王は大碓さまを誅されたことでしょうな。」
「そのような皮肉をそなたの口から聞くなんて。
私がそなたの娘たちの運命をおもしろがってるなんて思わないで頂戴。
大碓さまは、間違っても権力の座などを欲するようなお方ではないわね。
きっと、ここ美濃の地で、二人の美しい妻たちを慈しみながら生涯を過ごすわ。
そなたの娘たちは、ともに、きっと幸せになれる。」
私の可愛いお人形さん…ずっとそう思い続けていた媛さまの面輪に寂しさがよぎったのを私は確かに見た。
かつてのタラシヒコさまが、媛さまの美貌におぼれ、大王の名さえ捨ててこの美濃に居着いてしまうような情けない男だったとしたら、媛さまは大王を愛したのだろうか?
「これで、ともかくもワカタラシヒコさまのライバルは一人減りましたな。」
私はそんな憐憫の情を追いやるように言った。
「そうね。
大王が幾たり子を儲けようと、私たち姉妹と、大王は従姉妹どうし。
皇后イナビ姫さまの皇子、小碓(おうす)さまの次の地位にいるのは、ワカタラシヒコさまなのですもの。」
媛さまは華やかに笑った。
( 続 く )
今回は、景行天皇の段ではちょっと有名な、兄遠子・弟遠子姉妹と、大王・大碓親子との、三角関係ならぬ四角関係のお話です。別に根拠があるわけではありませんが、同じ美濃つながりということで、ヤサカ媛の妹、弟媛さんにも登場してもらいました。この事件の裏に、弟媛の策略があったってことは、もちろんぱいんの妄想です〜<(_ _)>
でも、別に弟媛さんが何をやったってことでもないので、まぁ、こんなこともあったのでは…てなノリで。
あと、姉妹のお父さんである神骨さんですが、こちらも別に学術的な根拠があってのことではないのですが、弟媛一族が大王家の血をひく天神族であるとすれば、神骨一族は、ものもとからこの地方にいた国神族(懐かしいですね〜この天神族と国神族って名称)、今風(←どこが?)にいえば、地方を治める土着の豪族…と解釈して物語を展開しています。(あくまで、学術的な根拠はないですよぉ〜
「姫、しばしの別れだ。
私はみごと熊襲を平らげて、必ずや姫の元に戻ってくる。」
青年は・・・いいや青年というにはまだ幼さの残る16才の少年は爽やかに言った。
少女の頬を涙が濡らした。
ホントにまぁ、絵のような二人だなぁ。
私は、絵物語を見るようにうっとりと二人を見た。
「どうして泣くのだ、フタジ姫?
旅立ちに涙は不吉だぞ。
それとも姫は、私が熊襲に負けるとでも?」
少年は、少女の肩を優しく抱き、その目を見つめて言う。
「いいえ、私は嬉しくて泣いているのです。
旅立ちの前に、私に大きな贈り物を残して下さったあなたの優しさが嬉しくて。」
「贈り物?」
怪訝そうな少年の瞳が、さらに少女の目を追った。
「ここにあなたの子が。
あなたが下さった贈り物のおかげで、私は、あなたをお待ちする間も独りぼっちではありませんわ。」
少女は頬を染め、まだちっともふくらんではいない腹を指さした。
「姫・・・愛しい。」
小碓皇子は、私の目も憚らず、妃に口づけた。
「姫、何も心配することはない。
私には無敵の勇者がついているのだ。」
と、皇子は私の方を振り向き、
「そこにいる弟彦。
弟彦の弓は天下一。私が大王に請うて、美濃から連れてきた男なのだよ。」
そう言った。
姫は、私に駆け寄り、
「弟彦とやら。
そなたは必ずや皇子を守ってくれますか?」
と聞いた。
間近に見る姫さまはそれはもうこの世の人とも思えぬほど美しくて。
「はい、必ず。」
私は気張って答えた。
私の答えを聞くと、姫さまの大きな目から、さらに大粒の涙がこぼれた。
私は何かまずいことを言ったのか…?
私は慌てて続けた。
「私は、横立(よこたて)、田子(たご)、乳近(ちぢか)という3人の勇者も伴って参りました。
皇子の身は、我々が命に代えても守ります。」と。
と、驚いたことに、私の手は、姫の香しく柔らかな手に包まれた。
そして、私の無骨な手を、姫の暖かい涙が濡らした。
「姫、身体を厭うて待っていてほしい。
私は約束する。
私は、私の御子を抱く最初の者になることを。」
皇子は、姫の肩に手を置き、その肩越しに私を見て言った。
まるで、言挙げをするように。
「そんなに早く?
大王でさえ6年もかかった熊襲征伐を、あなたは半年余りで成し遂げると?」
振り返った姫を抱きしめると、皇子は跪き、その腹に頬を寄せた。
「当たり前だ。
私と姫の愛しい御子を、私が最初に見られないなんて理不尽じゃないか。
私は御子の父親なんだぞ。」
年なりの幼さで、駄々っ子のように言う皇子に、私と姫は、思わず笑い声を上げた。
『殺せ・・・殺してしまえ。』
私は耳をふさいだ。
どんなに耳をふさいでも聞こえてくる声。
その声は、私が皇子に惹かれれば惹かれるほど、大きさを増し私に迫ってくる。
あの大王の6年にもわたる遠征は何だったのだ?
熊襲はまたもや叛き、辺境の地を侵すことはやまない。
が、大王は、今回は自らではなく、息子である小碓皇子を遠征軍の将に選んだ。
私は弓の腕を買われ、皇子とともに熊襲へと赴くことになった。
男ですらほれぼれとする皇子の容姿と行動力。
私は日に日に皇子に惹かれていった。
そんなある日、私は、大王の妃ヤサカ媛さまからお召しを受けた。
ヤサカ媛さまは、小碓皇子の母君ではないが、皇子の母君である皇后イナビ姫さまと並び、大王の妃たちの中では格別に重きを成す女人だ。
そして、小碓皇子のすぐ下の弟であるワカタラシヒコさまを頭に、幾人もの御子の母君でもある。
『殺せ・・・殺してしまえ。』
いつもの暗く重い声は、ヤサカ媛さまの元に近づくほどに、さらに大きくなり、私はうずくまり耳をふさいだ。
「どうしたのです?」
辺りを払う高貴な香りが私を包み、豪奢な身なりの女人の手が、うずくまった私の肩に触れた。
「申し訳もございません。
ヤサカ媛さまの元にうかがうつもりが、急に身体の具合が悪くなり・・・」
「いけませんね、立派な武人がそんなことでは。
顔を上げなさい。
そなたを呼んだのは私です。」
「え?
では、あなたがヤサカ媛さま!?」
私はあまりの驚きに、顔を上げることもできず、さらに小さくなった。
「もう一つ、そなたを驚かせてあげましょうか?」
頭上で、悪戯っ子のような妃の声が聞こえた。
「私は、そなたの具合が悪くなった訳も知っているのです。」
「?」
「弟彦よ。
妹から…妹の弟媛から何か言い含められたのでしょう?」
「!」
「いいのです。
私は、妹の性分は誰よりもよく知っていますから。
正直にお言いなさい。」
私はようやく顔を上げ言った。
「弟媛さまはおっしゃいました。
戦乱に紛れて皇子を殺せと。
それはヤサカ媛さまの望みでもあると。」
「やはり・・・。」
ヤサカ媛さまはがっくりと下を向くと、
「弟媛が言ったことは忘れなさい。そなたは皇子を守るのです。」
と言った。
「しかし・・・」
「どのみち、そなたのような正直者にはそのようなことはできないでしょう?」
「いやはや、お見通しの通りで…。」
私の背を冷たい汗が流れた。
「それにね、弟彦。
そのような卑劣な手段で得た黒い帝位などに何の価値があるというのです?
私は、それで皇子が幸福になれるなどとはとうてい思えません。」
今度は、ヤサカ媛さまは、下を向くことなくきっぱりとおっしゃった。
私は思わず立ち上がると、
「では、では・・・!
私は二心なく小碓皇子に仕えてよろしいので?」
と問うた。
「当たり前です。
そなたと小碓皇子は大王の偉業を受け継ぎ、必ずや熊襲を制し、そして二人とも無事に帰ってくるのです。」
と、ヤサカ媛さまは、優しく微笑んだ。
「弟彦よ。
私が何の策略もなく、フタジ姫にあのような約束をしたとでも思っていたのか?
私は大王の皇子だ。
約束を違えたりはせぬ。」
「しかし皇子よ…。
逸りは禁物です。
皇子の気持ちは分かりますが、敵は思ったより手強いと見えます。」
明々と火を灯し、行き交う熊襲は揃って筋骨逞しく、小柄で華奢な皇子などひねりつぶしかねない大男たちだ。
私は慌てて若い皇子の逸りを諫めた。
大和を出立して2カ月、私たちは熊襲の懐深く潜入していた。
「言ったろう?
私には策があるのだ、弟彦。
すでに熊襲の消息も地形も探らせている。
熊襲の頭は、魁師(たける)というとびきりの大男らしい。
皆から熊襲魁師(くまそたける)と呼ばれ、恐れられても、また慕われてもいるそうだ。」
皇子は、これからの戦いが楽しみでたまらないというふうに言った。
敵の大将を語るというよりは、想いを懸けた女のことを語るように微笑んで。
「そのような敵を前にして笑っていられるとは、皇子は肝の据わったお方だ。」
「揶揄しているのか? 弟彦よ。
あの明々と灯された篝火を見よ。
なんらかの祝宴が開かれるらしい。
熊襲魁師(くまそたける)は、親族を残らず集めているというからな。
あの真新しい、木の香漂う新居落成の祝宴…というところか。
それにしても我々はいいところに来たものだ。」
フッと笑う皇子に、私は尋ねた。
「皇子はいったい何を考えておいでで?」
皇子はそれには答えず、するすると角髪(みずら)を解き、長い黒髪を肩に放った。
驚く私を尻目に、衣を脱ぎ捨てると、思わず見とれてしまうような滲み一つない白い肌が現れた。
どこから調達したのか、熊襲の少女の衣を纏い、紅をさした皇子は、どこから見てもなよやかな少女だった。
そして最後に、皇子は、それだけは少女に似つかわしくない剣を、衣のうちに帯びた。
「赤い顔をしているぞ、弟彦。
どうだ?
男なら誰でもほしくなるような美女だろ?私は。」
さすがに照れたようにそっぽを向く皇子の肩先から不思議な色香が漂った。
が、その後で皇子は決然と言った。
「私は祝宴に潜入する!」と。
「へ?」
思わず間抜けな声を出した私に、
「この姿なら、熊襲も誰一人怪しみはしないさ。
もう少しだけ時を待とう。
酒が回ると女がほしくなる。
が、酒の回りとともに頭は回らなくなるものだ。
見たこともない女でも、魁師(たける)が欲しいと言えば、皆やんやの喝采で迎えるはずだ。」
皇子は、いや不思議な美少女は言った。
「そのような危険な策略には賛成しかねます。」
私は慌てて皇子を押しとどめた。
「何を言う。
このまま敵陣に駆け込む方がずっと危険は大きいだろう?
いやいや弟彦よ。
そなたの言いたいことは分かっている。
だが、時間をかけて周りの豪族どもを従え誼を結び、父上のように娘たちとの間に子を儲けていたら、私は、私の御子が生まれるまでに大和に戻れないじゃないか。」
「結局はそのための作戦なのですね。」
溜息をつく私を尻目に皇子は、
「当たり前じゃないか。
私は大王の皇子だ!
決して約束を違えたりはしないのだ。」
そう誇らしく言った。
( 続 く )
いよいよ小碓くんの出立です〜♪
が、お供の弓の名手が何と美濃出身ではありませんか!
で、またぞろ弟媛ちゃんの登場となったわけです。
ホントに完璧な悪女にしちゃってごめんなさい〜〜〜<(_ _)>
でも、どうも弟彦くんは、名前は一文字違いでも策略とは無縁の正直者だったようで…。ヤサカ媛の言葉を受けて、喜んで熊襲へ飛んでっちゃいましたね〜!
が、そこにはまた小碓くんの策略が。
本当に書紀を読んでいると、何が卑怯で、何が卑怯でないのか分からなくなっちゃいます〜(^^ゞ まぁ、それは現代にも言えることかも知れませんが。
今回は、小碓くんを爽やか少年ふうに描きたかったんですけど、成功していますでしょうか?
「なんと美しい…」
吐息のようなささやきとともに、男の手は肩から腰へ、そしてのし掛かるように、もう片方の手が足を這う。
のし掛かった男の生温かい息が耳に触れたとき、私は我慢できず、
「皇子さま、もうダメです…くすぐったい…」
私は男の手から逃れようと身をよじった。
「ダメだよ、タケル。
今日、小碓兄さまの『熊襲ごっこ』をやろうっていったのはおまえの方じゃないか?」
そう言うと、ワカタラシさまは有無をいわさず、強い力で私を抱きしめた。
私は、衣の中に隠し持った刃で男の胸を貫く。
といっても、もちろん本当の剣ではないのだが。
それでも皇子さまは、苦しげにウッと呟き、私にぬかずくと、
「しばらくお待ち下さい。
私に申し上げたいことがございます。」と言った。
なかなかの迫真の演技だ。
そして、苦しげな息の中で、
「あなたは、どなたでございますか。」と問うた。
「私は、ヤマトの大王の御子で、名は小碓という。」
私は答えた。
皇子さまはさらに、私の足に唇が触れるほど低くぬかずいて、
「私は、この国一の強力者でございます。
そのため、いま諸人は、私の威力に敵いませんので、従わない者はおりません。
私は、多くの武人に会いましたが、まだ皇子さまのような方に会ったことがございません。
そこで、卑しい賊の、卑しい口から尊号を差し上げるのを許して下さいますでしょうか?」
と言った。
「許そう。」
私は、大王の御子らしく誇らかに言った。
「今より後、皇子を名付けたてまつって日本武皇子(やまとたけるのみこ)と申し上げることにいたします。」
男が言い終わると、私は男の胸に刺した剣を持ち直し、さらに深く胸を貫いた。
男は、私の膝に崩れ落ち、やがて動かなくなった。
「ふふふふふふ・・・・・・
やっぱり最高に面白いな、『熊襲ごっこ』は。」
倒れていた男は、いや小碓さまと同じく大王の皇子ワカタラシ様は、むっくりと起きあがると、再び私の肩を抱いて楽しそうに笑った。
「それにしても・・・どうしていつも私が小碓さまの役で、皇子さまは熊襲魁師の役なのですか?」
私は問うた。
我が儘な皇子さまのこと、当然ヒーローの役をやりたいだろうに。
皇子さまはそれには答えず、
「美しいなぁ、おまえは。
小碓兄さまに生き写しだ。
どうして弟の私ではなく、おまえが兄さまの姿に生まれついたのかなぁ。」
と、すねたように呟いた。
「恐れ多いことながら、私も小碓さまとは遠い血で結ばれてますから。
あ、もちろんワカタラシ様とも。」
私は、ちょっとばかり誇らしげに答えた。
「なぁ、タケル。
あぁそうだった。
おまえは、名まで兄さまと同じになったんだな。」
「恐れ多いことでございます。」
私は静かにぬかずいた。
『熊襲ごっこ』のために、少女のように解いた私の髪は、さらりと流れて顔の半ばを覆う。
その髪をかき上げながら、皇子さまは、
「タケル、小碓兄さまはせっかく熊襲から帰還したというのに、ちっとも私とは遊んでくれないんだ。
いや、熊襲に行く前からだよ。
兄さまは、私なんかよりフタジ姫の方が好きなんだ。
フタジ姫が来て以来、兄さまはいつもいつもフタジ姫のとこばっか行くんだ。
熊襲から帰ったら、私にも剣を教えてくれるって約束したのに…
なぁタケル、おまえは、どこにも行かず、私の側にずっといてくれるだろう?」
そう言って、皇子さまは、まるで女にするように私に頬ずりした。
私も、女がするように優しく皇子さまの肩を抱くと、
「私はどこへも行きません。
ずっと、ずっと皇子さまとともにおります。」そう言った。
「本当か?」
「皇子さま、ご存じですか?
私の父祖であるイカガシ姫さまは、親子であった二人の大王に嫁がれました。
父親であったヒコクニ大王との間に生まれた皇子の末が私です。
そして、ヒコクニ大王の皇子であったオオビ大王との間に誕生したのが、ワカタラシ様、あなたの曾祖父であり、この国の礎を築かれたミマキイリヒコさまなのです。」
「そんな・・・親子で同じ妃を娶るなんて…
そんなことが許されるのか?」
「さぁ…遠い遠い昔のことですから。
が、どういう手を使ったのか、イカガシ姫さまは、なんとオオビ大王の皇后となり、ミマキイリヒコさまは、数多のライバルたちを蹴散らして大王の座についた。
そして、過去のスキャンダルを掃き捨てるように、私たちははるか傍系に追いやられた。」
「タケル・・・?」
「ワカタラシ様、ご存じでしょう?
私は、紀国の女を母とし、かの国で生まれました。
母が息災であったなら、父はかの国で一生を終えるつもりだったそうです。
もしそうであれば、私は、大王の皇子であるあなたとは出会うこともなかったでしょう。」
「でも・・・
ヤマトと紀国は遠いけど、
タケルと私は、同じ年、同じ日に生まれたんじゃないか!
きっとこうして出会う運命だったんだよ。」
「大きな手。
ほんの少し力を入れれば、私の細い腕など砕いてしまえそうな。
ワカタラシ様、いつまでも、そのように童のようなことを言っていてはなりません。
ワカタラシ様は大王の皇子なのですから。
この力は国を統べるために使わなければなりません。」
私は、皇子さまの太い腕を両手でかき抱き頬ずりした。
「国を統べるのは、小碓兄さまだ。
小碓兄さまには、既に皇子だって生まれたじゃないか。」
ワカタラシ様は、私の手から逃れ、静かにそう言った。
小碓さまは、いやヤマトタケルさまは、熊襲魁師を誅し、その帰還の途中、吉備で荒ぶる神を殺し、さらに、難波でも荒ぶる神を誅したという。
「私は、大王の神霊によって、ひとたび兵を挙げ、ひたすらに熊襲を誅し、その国をことごとく平定しました。
それで、西の国々は平穏となり、百姓は無事に暮らしております。
ただ吉備の穴済(あなのわたり)の神と、難波の柏済(かしわのわたり)の神だけが、ともに害心を持ち、毒気を放って路上の人を苦しめ、災いの原因となっておりました。
そこで、その悪神を、ことごとく殺して、併せて水陸の道を開きました。」
ヤマトタケル様の高らかな言挙げを、私もワカタラシヒコさまの傍らで聞いた。
ワカタラシ様がいま夢中になっている『熊襲ごっこ』。
もちろん真似事ではあるが、賊の胸を差し貫く快感、
荒ぶる神をことごとく殺す昂揚、そしてなによりヤマトを統べる野望が、既視感にも似て、私の胸の鼓動が高鳴る。
「どうしたんだ?
震えているのか?タケル。」
皇子さまは、振り解いた手を再び私の肩に置いた。
「小碓さまから、私のその容姿を、
そしてワカタラシ様は、その力を受け継ぎました。
私たち二人なら、きっとヤマトをもっと強大な国にできる。」
「それでも国を統べるのは小碓兄さまだよ。」
皇子さまはやはり静かに、幼子に言い聞かせるようにそう言った。
( 続 く )
さて小碓くんは、見事に熊襲を平らげて帰ってきましたね〜
今回は小碓くんの見せ場である女装シーンを、ちょっと趣向を変えて、ワカタラシ・タケルの二人の少年たちに語ってもらいました。
ちょっとキワドイ場面…なかなか楽しんで描かせていただきました〜(^^ゞ
少年たちの年齢は、10才くらいに設定しています。なんとなくこの二人って、ぱいん的には妄想をかき立てられるコンビなのですよね〜!
なので、ちょこっとこんなお話にしてみました〜(^O^)