オギャーーーッ
「わーい!
生まれたよ、生まれたよ!!
父さまに知らせなきゃ!」
私は弟たちを振り返って言った。
「男の子かなぁ?」
上の弟のイナヒが言う。
「女の子がいいなぁ。
だってかわいいもん!」
そう言ったのは、下の弟のイリノ。
でも、帳の中から聞こえてきたのは、喜びの声じゃなくて、すすり泣きの声だったんだ。
「イツセさま。
母上さまに、お別れをなさいませ。」
帳から出てきた、母さまの侍女は、力なく言った。
***** ***** ***** *****
「産など無理だったんだ。
玉依姫は、もう若くはなかった。
イツセ、私はイワレヒコが恨めしいよ。
イワレヒコさえ生まなかったら、
姫は、あんなに早く身罷ることはなかったんだ。
その昔、我らの祖先、イザナギさまは、
妻のイザナミさまが、
火の神カグツチをお生みになったことで身罷られたとき、
かの神、カグツチを斬ってしまわれたという。
私もできることなら、イワレヒコを斬ってしまいたい。
いや、そんなことができないのは分かっている。
だが、イワレヒコの顔など見たくはないのだ。」
あれから、父さまは、もう現実の世界など見ようともしないで、そんな繰り言ばかり言うんだ。
そりゃ、母さまは、父上にとって、育ててくれた母親でもあり、姉さまでもあり、そして最愛の妻だったんだから、悲しいのは仕方ないよ。
でも、イワレヒコは関係ないじゃないか。
そんなことで憎まれるなんて、イワレヒコがかわいそうだ!
***** ***** ***** *****
「なぁ、イナヒ、イリノ、
父さまは、母さまの死を悲しむあまり、
あんなに健やかに育っているイワレヒコには会おうともなさらない。
イワレヒコには、あんなに優しかった母さまもいない。
だから、私たちが、イワレヒコを守ってやろうよ。」
私は、弟たちに言った。
「そうだよ、そうだよ、兄さま!
このままじゃイワレヒコがかわいそうだ。
母さまがいつも言ってたじゃないか。
私たちは愛の中で育った兄弟だから、
何があっても、兄弟が争うようなことをしちゃダメだって。」
母さまが、一番かわいがっていた下の弟イリノ。
「兄さま。
なんでだか分からないけど、
私には、イワレヒコが特別な子に見えるんだ。
きっと、父さまと母さまが大切にしてる鏡を受け継ぐ子だよ。
イワレヒコが大きくなるまで、
私たちは、イワレヒコと鏡を守っていこうよ!」
「イナヒ、おまえもそう思うんだ。
私もそうだよ。
私だってよくは分からないけど、
イワレヒコはきっと、特別な子なんだよ。
そうだ!
じゃあ、今日からは、
私たち三人が、イワレヒコの父さまと母さまになろうよ!」
私たちは固く手を握りあった。
そして、それからまもなく、
父さまは、母さまの後を追うように身罷られた。
***** ***** ***** *****
あの日から、15年の月日が流れた。
イワレヒコも立派な青年だ。
私は、イワレヒコに鏡を手渡した。
「イワレヒコさま。
イナヒやイリノは、
まだ幼くて覚えてないかもしれないが、
私は、父上や母上から聞いた、この鏡の血塗られた過去を知っている。
この鏡をめぐって、どんな血みどろの争いがあったかを。
こんな争いは、もう終わりにしなければならない。
だから、私たち三人はあなたの兄ではあるが、
今日からは、あなたの臣下として、あなたに仕えよう。
私たちに幾たり子が生まれようとも、
この鏡を受け継ぐのは、あなたの直系のみ。」
そう言って。
「両親の顔さえ知らぬ私を、
心から慈しみ、育ててくれた兄上さまたち、
どうか、これからも私を助けてください。」
そう言って、鏡を受取ったイワレヒコには、
もうすでに王者の風格が漂っていた。
( 続 く )
いよいよ神武天皇の登場です。 書紀では、この章は、いきなり神武さん45才、東征を決意するところから始まります。 前の「海幸彦と山幸彦」の章では、掲示板の書き込み&メールで、山幸くんや豊玉ちゃんのその後は?との、問い合わせが数件ありました。でも、悲しいかな書紀には、そういう記載はないのです。 なので、今回は、前章で、ウガヤくんと玉依ちゃんが結ばれ子が生まれた…というところの続きから書いてみました。ちなみに、玉依ちゃんが、イワレヒコくん(神武)を出産した際に亡くなった…とか、そのあとを追うように、ウガヤくんが亡くなった…というのは、すべてぱいんの妄想です。 書紀には、ウガヤくんと玉依ちゃんのその後も、全く載ってません(>_<) |
<ぱいんのつぶやき> 日本書紀第3巻「神武天皇」の巻きの始まりです〜♪ しばらくは、ぱいん好みの美女の登場がないのが淋しいですが… 先週はGWということで、お休みをいただき、 満を持してのアップのはずだったんですけど、 毎回、最初はいまいちテンションがあがらず苦労しています。 早く、自分なりの思い入れの人物を作らなきゃ!! |
「もう成人されて久しいあなたさま。
まだこんなところで、手をこまねいているのですか?」
背後から、ヒトではないような不思議な声がする。
私は、海神の娘・玉依姫の息子だそうな。
兄上たちがそう言っていた。
だからだろうか、私がこんなにも海が好きなのは。
私は物思いにふけると、いつも海辺に出る。
今日もそうだ。
だが、こうして海を眺めている私に、
たやすく声をかける者などいようはずはない。
ここは、私のとっておきの場所。
母上の姉君・豊玉姫が、父上を生んだ場所。
神聖なこの場所へは、
私と、兄君たち以外は入ることはできない。
「おまえは誰だ!」
私は振り返った。
もしかしたら殺気だっていたかも知れない。
その問いは、まさに今、私が考えていたことだったから。
だが、振りむいた先には誰の姿も見えない。
「私は、シオツツと申す者ですよ。」
また声がする。
だが、姿は見えない。
見えない影は、さらに言う。
「兄上さまたちからお聞きになったことはございませんか、イワレヒコさま?
私が、あなたの祖父君・山幸さまを海の宮へと導いたのですよ。
山幸さまは、そこで、海神の娘・豊玉姫さまと出会われた。
そして、あなたの父君・ウガヤさまが生まれた。
ウガヤさまをお育てになったのは、豊玉姫さまの妹・玉依姫さまだ。
あなたをお生みになったのも。
それはご存知でいらっしゃいましょう?」と。
「おまえは誰だ!
姿を現せーーーっ」
私は再び影に向かって叫びながら、剣を抜いた。
「東の方に、美しい国がございますよ。
そこには青山が四周をめぐっていて、
その中に、天磐船(あまのいわふね)に乗って、
飛び降ってきた者がございます。
おそらく、ニギハヤヒと申す者でしょう。」
姿の見えない影はそう言って、そして去っていった。
***** ***** ***** *****
私は、兄上たちと、息子のタギシを前に言った。
「その昔、我が天神タカミムスヒさまとアマテラスさまは、
この葦原中国(あしはらなかつくに)を、
すべて、我らが曽祖父・ニニギさまにお授けになって、
ニニギさまを、この葦原中国に降臨させた。
だが、葦原中国は未だ野蛮であり、
ニニギさまが、本拠を構えたのは、この日向の地だ。
以来、祖父・山幸さまも、父・ウガヤさまも、
日向の地を出ることはかなわず、身罷られた。
かくして、年月は流れた。
ニニギさまが降臨されてこの方、
実に百七十九万二千四百七十余年である。」
私は言葉をついだ。
「しかるに、まだ葦原中国は王化にうるおわず、
村々には酋長がいて、おのおの境界を分け、相戦い、
しのぎあっているのが今の現状だ。
この日向を出るのは危険だ。
それは分かっている。
だが、アヒラツ姫を娶って生まれた我が御子・タギシさえ、
すでに成人したというのに、
このまま、手をこまねいていてよいのだろうか。
私は、東に行きたいと思う。
東には美しい国があるという。
きっと、そこは天下に君臨するのに好都合なところであろう。
私は、そこに行って、都を営もうと思うが、皆はどう思うか?」
そう聞いた。
「イワレヒコさま、よく言われた。
私たちも、あなたが発つ日を待っておりました。
どうして異議など唱えることがありましょう。
さあ、さっそくにも出立なさいませ!」
兄上、イツセ殿がそう言うと、皆が一斉にうなづいた。
私は発った!
( 続 く )
前回では15才の少年だったイワレヒコくん、今回は45才になっての登場です。で、いよいよ東征を決意するのがこの段です。 皆さん、シオツツおじさんは覚えていらっしゃいますか? 神代下の「海幸彦と山幸彦」[3]で登場した、あの変な手品師のようなおじさんです。また今回登場ということは、彼はいったいいくつになっているんでしょうねぇ〜 そのあたり、全然想像が付かなかったので、あえて容貌は書かずに影のような存在として登場させました。 それから、ニニギが降臨してから、百七十九万二千四百七十余年というのは、ぱいんの打ち間違いではありません。本当に書紀にはそう書いてあるのです。いったいみんな、いくつまで生きたのでしょう・・・? |
<ぱいんのつぶやき> 次回より、イワレヒコくんによる東征が始まります。 でも、神代下では、山幸くんを海の宮に導いたり、 また今回は、イワレヒコくんを東征へと導いたり、 いったい、シオツツさんというのは、どんな人なんでしょうねぇ・・・ 不思議な人物です〜☆ |
「なんとも壮観な眺めですね。
吉備国に滞在すること3年、いよいよ来月には東に向かって出航ですか。」
海に浮かぶ大船団を眺めていた私に、いつもの陽気な男が声をかける。
「おぉ、ウズヒコ。
いや、シイネツヒコ、
そなたは、遙か東の国に何が待っているのか不安ではないのか?」
「ウズヒコでいいですよ。
私には、シイネツヒコなんて、ご大層な名前は似合いませんから。」
私はいつも陽気なシイネツヒコが好きだ。
ウマが合う。
3年前、私は、父や叔父たちと一緒に、東に新しい都を築くため、住み慣れた日向の地を発った。
速吸之門(はやすいのと)で出会ったシイネツヒコは、それからずっと私たちの道先案内人をしてくれている。
シイネツヒコは言う。
「タギシさま。
あなたはイワレヒコさまの唯一の男児。
いろいろ考えなければならないこともおありでしょう。
だが私は、イワレヒコさまに出会ったとき、
あの方が私に、
『お前は私を先導することができるのか?』
とお尋ねになって、椎(しい)の竿を差しだしたとき、
その竿を握ったときから、
あなたの父上・イワレヒコさまにすべてを委ねているんです。
だから、不安などはないのです。」
「そうだったな。
そして父上は、そなたに『シイネツヒコ』の名を与えたのだった。」
「あ、タギシさま、
海辺をウサツ姫が歩いてますよ。
大きなお腹だなぁ。
今月中に生まれてくれたらいいけど。
もし生まれなけりゃ、ウサツ姫は、吉備の留まることになるのかなぁ…?」
人の話を聞いてるんだかどうだか…
シイネツヒコの目下の気がかりは、父の東征の行方よりも、ウサツ姫の腹の子が、出発前に生まれるかどうか…ということらしい。
「シイネツヒコ、そなたが心配することじゃないじゃないか。
ウサツ姫は、タネコの妻。
それにあの気性だ。
たとえ臨月でだって船に乗ってしまうさ。」
そんな激しい気性のウサツ姫を見るとき、私は、それとは全く対照的な我が母・アヒラツ姫を思い出す。
なぜだろう…?
容姿など全く似てはいないのに。
***** ***** ***** ***** ***** *****
母は、愚痴などこぼさない。
何も要求もしない。
私たちの船団が日向の地を離れるときも、笑顔で手を振っていた。
その細い肩が痛々しかった。
「母上。
母上も一緒に参りましょう!」
私は何度もそう言った。
だが、母の答えはいつも同じ。
「イワレヒコさまが、一緒に行こうと言って下さったらね。」
そう言って微笑んだ。
「母上。
お分かりになってるのですかっ、父上が東に都を作るという意味が。
成功すれば、父上はかの地で君臨して、もうここへは戻ってこない。
敗れたときも然り。
路上の露と消えて、ここに戻ってくることはないでしょう。
今の別れが今生の別れとなるのです。
それでいいのですかっ!」
それでも母上はかすかに微笑む。
そして、
「私はイワレヒコさまに従います。」
そう言う。
「タギシ、元気でね。
身は遠くに離れて、たとえ再び会うことはなくても、
私は、あなたとイワレヒコさまをいつも愛しています。
そして守っています。
私はそれだけで幸せよ。」
虚勢でもなんでもない、母の本当の笑顔がそこにあった。
***** ***** ***** ***** *****
「シイネツヒコ、
私はそなたがうらやましいよ。
『信じる』ということは、強い『力』だな。
だから、そなたも母上もいつも笑顔でいられるのだ。
そなたと母上は父・イワレヒコを、
そして、ウサツ姫は、自分の愛を信じているのだな。」
「そりゃそうですよ。
だって、えらい騒ぎでしたからねぇ。」
フフフと含み笑いをするシイネツヒコ。
私もつられて笑う。
ウサツ姫とタネコのロマンスは、私たち一行、誰も知らぬ者はいない。
速吸之門でシイネツヒコと出会った私たちは、次には筑紫国宇佐に到着した。
そこで、私たちを歓待してくれたのが、宇佐の長・ウサツ彦とウサツ姫の兄妹だった。
そしてウサツ姫は、私たち一行の中に、タネコの姿を見て、なんとタネコに一目惚れしてしまったのだ。
どうしてもタネコと一緒に行きたいと、兄・ウサツ彦にだだをこね、
ついには父上が間に入る形で、二人は結ばれた。
それから安芸国を通過し、吉備国に入って3年。
いわばここでの3年が、タネコとウサツ姫の蜜月だったのだろう。
今、その腹にタネコとの愛の証を得たウサツ姫が、タネコと別れてここに一人で留まるわけがない。
「そなたやウサツ姫のように、心から信じられる物があるのはうらやましいよ。」
私はシイネツヒコに言った。
「あなたはあなた自身を信じればいいではありませんか。」
いつもの陽気な笑顔で、シイネツヒコはそう言った。
***** ***** ***** ***** *****
「出航だぞ。」
「出航だぞーーーっ」
木の香も麗しい大船団は岸を離れる。
幸い天候にも恵まれ、私たちの船団は、快調に海原をすべる。
シイネツヒコの、ウサツ姫の、みんなの笑顔を乗せて。
やがて岸辺が見えてきた。
波が速い。
「ここは波が速いなぁ。」
父上の声だ。
「みんなー。
私たちがめざす東の都も、もう間もなくだぞーっ
そうだ。
この波の速い岸辺は『浪速国(なにわのくに)』と名付けよう!!」
そして、私たちは浪速の港から川を上り、河内国に着いた。
さあ、いよいよ戦いが始まる。
私を、父を、この地は受け入れてくれるのだろうか…
( 東 征 完 )
今回は、前回ちょこっと名前だけ登場したタギシくんが語り手になっています。速吸之門で出会ったウズヒコ、最初からいた(?)従者のタネコ、宇佐からついてきているウサツ姫など、登場人物も増えました。 ウサツ姫が、この東征についてきたかどうか、書紀では全く語られていません。ただ、タネコが中臣氏の遠祖という記載があるので、タネコの妻となったウサツ姫も一緒に来たんじゃぁ・・・なんて妄想しました。が、ウサツ姫がこの遠征中に妊娠したとか、ウサツ姫の生んだ子供が中臣氏の系譜につながる・・・などという傍証は全くなく、このあたりもぱいんの全くの妄想です。 アヒラツ姫に関しては、「アヒラツ姫を娶られて、タギシミミをお生みになった。」というように、その名前だけが記載されてるのみです。エピソードなどは全く載っておりません〜(>_<) よって、アヒラツ姫の人となりに関しても、ぱいんの全くの妄想です。 尚、日本書紀に登場する地名に関して、現代のどこにあたるのか…につきましては、いろいろ見解があって意見の分かれているものもあります。自分の力量からいって、そこまでは入り込めないので、一応、ぱいんが所有しております、中央公論社の『日本書紀 上』の解説に従って書いています。どうぞ、ご了承下さいませ〜<(_ _)> この記載によると、イワレヒコさんの一行は、宮崎県を出発して、大分県の宇佐市に寄って、安芸(広島県)、吉備(岡山県)と、瀬戸内海を抜けて、浪速(大阪府)に着いたというわけですね!! |
<ぱいんのつぶやき> 日本書紀のこの段を読んで、 ぱいんがすごく気になった女性がアヒラツヒメです。 「なんでイワレヒコさんについていかなかったんだろう…? ここで一緒に行かなきゃ、もう会えなくなるのに…」って。 この章は、ちょっと彩りに乏しい章なので、 アヒラツヒメの人となりについて、ちょっとだけ、ぱいんの頭に浮かんだ妄想を、 エピソードとして入れてみました。 それとは対照的なウサツ姫のエピソードと一緒に! 皆さまは、もう会えなくなるということを承知の上で、 イワレヒコさんの船を見送るアヒラツヒメの心情、どんなふうに想像されます? |
= 語句説明 = | |
タギシ | 手研耳命(たぎしみみのみこと)イワレヒコの御子。 |
速吸之門 (はやすいのと) |
地理的に見て、豊予海峡が考えられますが、『古事記』では吉備の高嶋宮から浪速に向かうところに速吸門があったように記載しているので、こちらでは明石海峡ということになります。ここで、イワレヒコ一行がウズヒコに出会ったことになっているので、ぱいんも最初は、鳴門の渦潮のあたりかなぁ…と思ってました。でも書紀の場合、それではつじつまが合いませんよね〜(^^ゞ |
タネコ | 天種子命(あまのたねのみこと)イワレヒコの従者。中臣氏の遠祖。 |
アヒラツ姫 | 吾平津媛(あひらつひめ)日向国吾田邑の娘。 イワレヒコの妻。タギシの母。 |