地 界 へ
私はいつも夢見ていたわ。
私を救い出してくれる強い誰かを。
父も母も、毎日泣いてばかりいたけれど、
私は、きっと私を救い出してくれる強い誰かが現れると信じてた…

「大蛇がやってくるぞー! もうすぐ大蛇が…」
父が叫んでいる。
いよいよ大蛇がやってくる季節が巡ってきた…
父は、私の手足を撫でさすり慟哭している。
母は、もう泣きつかれたのか、放心したような眼を私に向けていた。

「まるで、物語のワンシーンみたい。」
私は呑気に考える。

そして、ふとした気配に戸口を見た。

「おまえたちは誰なのだ? どうしてそんなに泣いているのだ?」
戸口には、背が高く、端正な顔立ちの青年が立っていた。

父は、涙と鼻水で、顔をぐしゃぐしゃにさせながら、
「ほかでもございません。
 私は国神で、名は脚摩乳(あしなづち)、妻は手摩乳(てなづち)と申します。
 この娘は、私たちの娘でございまして、名は奇稲田姫(くしいなだひめ)と申します。
 実は、もともと私たちには8人の娘がおりました。
 それが、娘たちは、
 年ごとに一人ずつ八岐大蛇(やまたのおろち)のために呑まれてしまいました。
 今年もまた、その大蛇がやってくるときが参りまして、
 最後に残ったこの娘も呑まれようとしています。
 この運命を逃れることはできません。
 それが悲しくて、泣いていたのでございます。」と言った。

青年は私を見た。
青年の目に驚きが走った。

え? なぜ? 
なぜ、あなたはそんなに驚いておられるの?
私はその驚きが何なのか知りたかったけれど、
こんなときに、そんな呑気なこと…
私は、その疑問を問いただせないことがもどかしかった。

青年は、なぜだか、恥ずかしそうに下を向き、
私からも、父からも、母からも視線をはずし、
「それなら、その娘、私にくれないか?」と言った。

もしかして、それって私のこと?
じゃあ、私を大蛇に呑み込まれる運命から解き放ってくれるの?

「それはもう…
 この娘を大蛇から守ってくださるのなら、私は何も申しません。」
父は言った。

「それにしても、あなた様は一体どなたなのですか?」母が言った。
「私はスサノオ。
 この世の万物を作り参らせたイザナギとイザナミの子だ。
 輝く日の神、姉上アマテラスより、高天原(たかまがはら)を追放されて、
 これから根の国へ赴くところなのだ。」
青年は、カラッと爽やかに笑いながら言った。

それからのスサノオ様の行動は素早かった。

まず、私を八岐大蛇(やまたのおろち)に気取られぬよう、
湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に化身させ、ご自分のお髪にお刺しになった。
それから、父や母に命じて、
何度も醸した味も香りもいいお酒を大量に造り、
それを8つの桶に入れて、家の角々に置かれた。

そして、私たちは、ごくっと唾を飲み込み、
大蛇が現れるのを静かに待った。
( 続  く )
今週からは、「八岐大蛇退治」の始まりです。
皆さまおなじみのお話のせいか「期待してます!」という、ありがたいお言葉が多く、
でも、その分、けっこうプレッシャーを感じながら書きました。
書紀には、
「それなら、その娘、私にくれないか?」という言葉から、
スサノオ君がクシイナダ姫ちゃんに、一目惚れしちゃったのかなぁ…とか、
アスナヅチ、テナヅチさんたちが、とっても悲しんでいた気持ちは書かれてあるのですが、
クシイナダ姫ちゃんの気持ちはほとんど描かれていません。
そこで、思い切って、今回はクシイナダ姫ちゃんに語ってもらいました。
クシイナダ姫ちゃんを夢見る乙女ふうにしちゃいましたが、いかがでしたでしょうか…?
(クシイナダ姫ちゃんについて、詳しくお知りになりたい方は、こちらのサイトをご参考に!)
<ぱいんのつぶやき>

先週は、「天の石窟」の最終回だったわけですが、
毎回、章の終わりになると、
自分自身、そのお話に入れ込んでるようなところがありまして、
新しい章になり、新しいお話の第1話は、
我ながら、イマイチだなぁ…なんて思いながら書いてます。
最初のイザナギ・イザナミ世代では、草野姫ちゃん、
前回の「天の石窟」では、アメノウズメちゃんとオモイカネ神さま、
色々な、この物語におけるスターが誕生していますが、
この章でもスターが誕生するのでしょうか?
案外オロチちゃんが人気になったりして〜♪



大蛇登場
オレは初めて知った。
本当に生きるということがどういうことなのかを。

姫も、姫の父も母も、オレをまっすぐな温かい目で見てくれる。
オレを頼り、オレの言葉を待ってくれる。

オレは、ただの甘ったれだったのだ。
母に甘え、姉に甘え、
駄々をこねること、人を困らせることが、
唯一、みなの注目をひく方法だと思い込んでいた。
それは、本当に子供じみた甘ったれだったと、今ではよく分かる。
そんなオレを、地上に放ってくれた姉上の愛情も…

オレは高天原(たかまがはら)を追放され、
出雲国の簸(ひ)の川の川上に降り立った。
どこからか、人の慟哭の声が聞こえてくる。
いったいどうしたというのだ…
オレは声を頼りに一軒の家の前に立った。

大蛇に呑まれようとしているかわいそうな娘…
その娘を見たとき、
「母上…!?」
まさか…
少女は母上に生き写しだった。

姉上アマテラスも、母上の面輪を伝えてはいたけれど、
その神々しいまでの輝きは周りのものをたじろがせる威厳に満ちていた。
だが、この少女の、どこかはかなげで、夢見るような風情は、
まさに、母上に生き写しだった。

「この姫を私にくれぬか?」私は思わず言った。
姫はびっくりして、一瞬私を見たが、頬を染めて恥ずかしそうにうつむいた。

「娘を大蛇から守ってくださるのなら仰せのままに。」
姫の父、脚摩乳(あしなづち)が言った。

オレは、姫が大蛇に気取られぬよう、湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に化身させ、
自分の鬟(みずら)の髪にさした。
それから、よく醸した香りのいい酒を8つの桶に入れ、大蛇が現れるのを待った。

姫は、オレが大蛇から守るのだ!

やがて、大蛇がやってきた。
「・・・・・」
なんという大きさだ。
大蛇は頭が8つ、尾が8つ、目がほおずきのように赤く光っている。
背には、松や栢(かや)の大木が生え、
8つの山、8つの谷に這い渡るという大きさだ。

オレは、そっと鬟(みずら)にさしてある湯津爪櫛(ゆつつまぐし)、姫の化身に触れた。
姫の温かい心、生きようとする熱い思いがオレの中に伝わった。

と、そのとき、
獰猛な眼で、姫の姿を捜し求めていた大蛇は、
桶に入っている酒の匂いに誘われ、
大音響と共に、8つの頭をそれぞれ8つの桶に突っ込み、
ぐびぐびと、それはすごい勢いで酒を飲んだ。

オレは、いつ大蛇が襲い掛かってきても、姫だけは守るつもりで、
十握剣(とつかのつるぎ)を握り締め、大蛇の様子を見続けた。

やがて大蛇は酔いが回り、眠ってしまった。

チャンスだ…!
オレは、もう一度、湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に触れると、
今度は一目散に大蛇の下に走った。
そして、ところかまわず、大蛇をずたずたに切り裂いた。

ん?

そのとき、剣がなにか堅いものに触れ、刃こぼれがした。
大蛇の尾の中を探ってみると、中からは1つの剣が現れた。
一目でそれとわかる霊剣だ。

オレは、霊剣・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を天におわす、姉上アマテラスに捧げ奉り、
そして、本当の意味で、姉上に別れを告げた。
この腕の中にある者、奇稲田姫(くしいなだひめ)を抱きしめるために。
( 続   く )
なんだか今週は、自分でも赤面しちゃうほどロマンティックなお話になりました。
なんだかんだ訳ありのスサノオが、まさに「英雄」として登場します。
の、割には、またまたマザコン・シスコンにしちゃいましたけど・・・
  (ちょっと、しつこい?)
でも人間、本質のところはそう簡単に変わるものではありません。
彼は彼なりに、立派な父・母・姉を乗り越えようと、がんばっていたのです。
それがなかなかうまくいかず、苛立ちが暴虐につながったのかも・・・
 (すみません。めちゃめちゃ、ぱいん解釈です。(^^ゞ
<ぱいんのつぶやき>

私、ある方に言われました。
「確か、前回でスサノオって髪の毛を抜かれてたよね。
つまり今はハゲってことよね・・・
なのに、どうして櫛を鬟にさせるの?
そんな早く髪って伸びる? それも鬟にできるくらい長く。」って。
間抜けなぱいんは、言われるまで気づきませんでした。
そうですよね〜^^;
なんで、そんなに早く髪が伸びたのでしょう・・・!
謎です!!!



別離のとき
「いったい、どうして私を召しては下さらないのです!」

あらら…あの子ったらまた…
スサノオ様が、頭が8つ、尾が8つ、目がほおずきのように赤く光っていて、
背には、松や栢(かや)の大木が生え、8つの山、8つの谷に這い渡る…という、
とてつもなく大きな大蛇、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して、
わが娘、奇稲田姫(くしいなだひめ)を救ってくださったのは、つい先ごろのことでございます。

それから、スサノオ様、わが姫、そして国神である脚摩乳(あしなづち)、手摩乳(てなづち)、
つまり私ども夫婦は、新しい宮の場所を求めて、旅をしたのでございます。

そして、出雲の清地(すが)というところに着いたとき、スサノオ様は、
「わが心清々(すがすが)し。」とおっしゃられ、ここに宮を建てられました。

姫も、私どもも、
ここで、スサノオ様は姫と結婚され、
末永く仲良く暮らすことになるのだと期待していたのでございます。
ところが、スサノオ様から一向に、姫へのお召しはなく…
で、連日のように、

「いったい、どうして私を召しては下さらないのです!」

なのでございます。
私どもの姫は、八岐大蛇(やまたのおろち)に呑まれる運命の娘ということもあり、
よもや、無事生き延びて、誰かの妻になるときが来ようとは考えてもいなかったもので、
私は、そのような言葉の投げ合いが、
いかに男性の心を冷えさせるものかということを、姫には教えなかったのでございます。

「あなた様は、結局は姉君アマテラス様を忘れられないのです。
 あなた様が、愛しておられるのは、姉君アマテラス様なのです!!」

あちゃぁ〜〜〜なんということを〜
それを言ったら、お終いだっちゅ〜に…!

「姫。許してください。
 私は、亡き父イザナギの命で、根の国に赴かなくてはならないのです。
 あなたは、いつまでもあなたと共に暮らし、
 あなたを慈しんでくれる男と結婚した方がいいのだ。」

「ここにおいでになればよいではありませんか!
 私の父母である国神があなた様を、必ずやお守りします!」

「私は父の命に背くわけにはいかない。
 あなたとは一緒に暮らせない。」

下を向くスサノオ様。泣き詰るわが姫。
このようなことが、ここ数日、ずぅーっと続いているのでございます。

そんなある日、スサノオ様が私どものもとにやってこられました。
「脚摩乳(あしなづち)殿、
 あなたもご存知のように、私は間もなく根の国に赴かなくてはなりません。
 姫の傍らで姫を見守り、ずっと永久に姫を慈しんでやることはできない。
 そんな私にでも、姫をくださるだろうか?」

「あなた様が、姫を大蛇から救ってくださったときから、
 姫は、あなた様に差し上げるつもりでおりました。」
スサノオ様からの問いに、夫、脚摩乳(あしなづち)が答えました。

「手摩乳(てなづち)殿、あなたはどうであろうか?」
今度は、私にお尋ねになります。
「お分かりでございましょう? 姫の心は。
 短い間でもいい。
 あの子の恋をかなえてあげてはくださいませんでしょうか。」
私も答えました。

スサノオ様は、やっと心を決められたようでございます。
夫、脚摩乳(あしなづち)を、この宮の首(つかさ)として、
姫のこと、
もしかしたら、これから生まれるかもしれない我が子のことを託され、
ついに、二人は結婚することになったのでございます。

そして、それは幸せな、短い蜜月のあと、
姫は、スサノオ様のお子を身ごもりました。

月満ちて、生まれたお子は、とても元気な男の子でございました。
お名は「大己貴神(おおあなむちのかみ)」と名付けられました。
でも、この子の顔を見ることなく、
スサノオ様は根の国に去ってしまわれました。

ほんの少し前までは、人の心など顧みることもなく、
自分の気持ちだけを投げつけていた娘は、
最後の別れのときは、気丈にも涙を見せず、
笑顔でスサノオ様を見送ったのでございます。
恋が娘を強くしたのでございましょうか…?

その、涙をこらえて震えている娘の細い肩を見て、
私の方が泣き咽び、姫から叱られたのでございました。

でも、これからは、
きっと、愛らしい大己貴神(おおあなむちのかみ)の笑顔が、
姫の人生を支えてくれることでございましょう。
あの大丈夫(ますらお)、スサノオ様のお子神なのでございますから。
( 八岐大蛇退治 完 )


今週で、「八岐大蛇退治」は終了です。
けっこうどなたもご存知のお話ですが、楽しんでいただけましたでしょうか?
今回のお話、書紀では「スサノオが宮を建てた、そして奇稲田姫ちゃんと同棲した、
 で、大己貴神(おおあなむちのかみ)が生まれた、
 そして、脚摩乳・手摩乳を宮の主神とした、そして根の国に去った・・・」
としか、出てきません。
まず、ぱいんが思ったことは、
「そんなの、無責任じゃないのぉ〜? 天神なら何をしてもいいんかい!」
ってことでした。
でも、次の奇稲田姫ちゃんの父母を宮の主神として、妻や子を託した・・・というところで、
スサノオ君のやさしさが見えたような気がして、このようなお話になりました。
またまた、ぱいん解釈ですが、スサノオ君、奇稲田姫ちゃん、共に成長したということで!
ちなみに、この大己貴神(おおあなむちのかみ)って、
因幡の白兎で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと=大黒さま)なんですよ!!
<ぱいんのつぶやき>

私って、アホです。
(何も今さら言うことでもありませんが…)
今回のお話、自分で書いときながら、
あまりにせつなくて泣いてしまいました。
ほんの束の間しか共棲みできないスサノオ君を愛してしまった奇稲田姫ちゃん、
愛する妻、しかも身ごもっている妻を置いてゆかねばならなかったスサノオ君。
せつなすぎますぅ・・・(>_<)

大己貴神の国作りへ続く


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