帳(とばり)から吹き込む冷気に私はハッと目をさました。
私としたことが、どうも部屋の主を待つ間にうたた寝をしていたらしい。
帳を開けて戻ってきた主は、私の姿を認めると、
「タケルか。」
と、無断で部屋に入った私を不審がるでもなくそう言った。
「タケルか…ではありません!
今日もまた、ナカツヒコさまと遊んでおいでだったのですか?
いつまでもそのような…童のようなことを。
あなたさまは・・・」
言いかける私を遮るように、
「ナカツヒコは美しいな。
熊襲に赴く頃の小碓兄さまそっくりだ。」
ワカタラシヒコさまは言った。
「先だって、皇后イナビ姫さまが身罷られました。」
またその話か…というように顔をしかめたワカタラシヒコさまは、
「イナビ姫さまのあとの皇后は、母上のヤサカ媛だ。
そして、小碓兄さまの亡き後、皇位を次ぐのは私だと、そう言いたいのか?
だが、お前の思うようにいくかな。
父上は艶福家だ。
私のほかにも皇子は数多(あまた)いる。
年の順に皇位が決まる訳じゃないのは、小碓兄さまの例でも分かるはずだ。
私は、お前の野心の具などにはならぬ。」
不機嫌そうにそう言った。
「野心だなどと・・・。」
「私もお前も同じく天神(あまつかみ)の血を継ぐ同族だ。
だが、お前は皇位に就くことはできぬ。
だから、私を皇位に就け、能無しの私を傀儡にして、実権はお前が握る。
ヤマトの政(まつりごと)を思いのままにしたいというのがお前の野心だろ?」
「そのようなことは・・・」
ない、と言おうと、皇子の方へ踏み出した足が揺らいだ。
頭の上で天井が廻る。
私は、がっくりと床に膝をついた。
「タケル・・・タケル。
どうしたのだ!!」
皇子さまの声を遠くに聞きながら、私の意識はゆっくりと遠のいた。
どのくらい眠っていたのだろう。
目を開けると、すぐ側に、心配そうに私の顔を覗き込むワカタラシヒコさまの顔。
「おぉ…目を覚ましたか、タケル。
心配したぞ。
具合が悪いなら、雪の中を馬を駆って、宮になど来なければよかったのに。
もう少しで、肺をやられるところだったのだぞ。」
「肺を?
そういえば、少し前から風邪気味ではありましたが。」
ゆっくりと、眠り込む前の記憶が戻ってくる。
そうだ、私は皇子さまの宮で倒れたのだ。
昼間にうたた寝などしたことのない私が、珍しくうつらうつらしたのは、すでにあのとき、風邪がもたらす熱が、私の体を蝕んでいたかららしい。
「すごい熱で、お前は、三日間も眠り続けていたんだぞ。
だが、もう熱は下がったらしいな。」
まだ心配そうに、皇子さまは私の額に手をやった。
「気分はどうだ?」
「体の節々が、どこもかしこも痛みます。」
私は正直に言った。
「細身に似合わず、お前は丈夫だったからな。
子供の頃から、お前が体を壊したところなど見たことがなかった。
本当に心配したんだぞ。」
「皇子さま・・・」
私たちは、久しぶりに優しい会話を交わした。
が。
宮の外から聞こえてくるざわめきに、私は、がばっと身を起こした。
まだ頭がふらついたが、そんなことは言っていられない。
「皇子さま、三日間とおっしゃいましたね。
もしや、今日は大王の宴の日では?」
「それが何か?」
「何か…ではございません!
大王の新年の宴に皇子さまがおいでにならないなど謀反も同じこと。
あなたはなんということを。」
私はまだうだうだと何か言ってる皇子さまを睨みつけると、
「お召し替えを!」
そう言って、女人たちを呼びつけ、私自身も着替えを始めた。
「お前も行くのか?
無理だ。
たった今まで、高熱に浮かされていたというのに。」
「私が行かねば、どちらにせよ、私たちの首は明日までは繋がっていますまい。」
私の言葉で、ワカタラシヒコさまは、さすがに大変なことだと気付いたのか、大急ぎでお召し替えを始めた。
ちょうど着替え終わったとき、私たちが宴の庭に参上しなかったことを不審に思われた大王タラシヒコさまの使いが宮にやってきた。
使いの者とともに、私たちは威儀を正し、宴の庭に赴いた。
私たちを迎えたタラシヒコさまは、別段怒るでもなく、
「どうした、二人とも。
新年早々、鬼ごっこでもして遊んでいたのか?」
と言った。
すでに、酒のために顔を赤くした群卿たちが、どっと沸く。
一つ間違えば、軍を遣わされ誅されかねない場の空気を一瞬にして変えてしまう、このお方は本当に天才だと、私は惚れ惚れと眺めた。
が、私も負けず、奏上した。
「宴楽の日には、群卿百寮は、かならず心を遊びにおいて、国家にはおきません。
あるいは狂った人があって、皇居の囲いの隙をうかがうかもしれません。
そこで、門下に侍って非常に備えていたのでございます。」
と。
「皇位を継ぐ者として、見上げた心がけであるぞ。」
タラシヒコさまが言挙げをすると、再び群卿が沸いた。
私はほっとして、握りしめていた手を開いた。
手のひらは、じっとりと汗ばんでいた。
やはり緊張していたらしい。
だが、小碓さま亡き後、曖昧になっていた皇太子位がようやく定まった。
しかも、わたしのワカタラシヒコさまに。
大王の宴の庭という、最高の舞台のもとで。
「余計なことを。」
だが、宮に戻ったワカタラシヒコさまは不機嫌だ。
「皇子さまは、私の野心とおっしゃいましたが、私の野心などなくても、大王位を継ぐのはワカタラシヒコさま、あなたです。
今まで曖昧だったことが、本日はっきりしたというだけです。
小碓さま亡き後、皇位を受け継ぐのは、天が定めたあなたの運命です。
あなたにだって、それは分かっていたはず。」
「分かっている。
そうさ、分かっていたのだ。」
背にかけようとした私の手を振り払い、皇子さまは言った。
「分かっておいでなら、成さねばならぬこともお分かりのはず。
皇位を継ぐ者は多くの重い務めを負わねばなりませんが、そのうちの大きな責務の一つは、妻を娶り、次代の大王を誕生させることです。」
私は言った。
皇子さまが嫌がるのは分かっていたが。
いや、それは私自身、もっとも触れたくない話題であったのだが。
案の定、眉をひそめた皇子さまに、
「毎日のようにナカツヒコさまと戯れ、いつまで少年趣味を続けるおつもりなのですか。」
私はさらに言った。
これは嫉妬ではないと自分に言い聞かせながら。
「ははははは・・・・
少年趣味か…うまいことを言う。
だが、その少年趣味を教えてくれたのはお前だぞ、タケル。
子供の頃は、よく小碓兄さまの『熊襲退治』を真似て遊んだな。」
ワカタラシヒコさまは、少年の頃のように私の肩に手を回し引き寄せた。
その話題は、これで終わりだというように。
そして、私の気持ちなど、全く気付いてないとでもいうように。
私は悔しくて、大きな皇子さまの手を振りほどくと言った。
「悪ふざけはよしてください。
あなたはもう24。
にもかかわらず、定まった妻が一人もいないとはいったいどういうこと。
ヤサカ媛さまも、大層ご心配されております。」
と。
「女など・・・
私にはお前がいるではないか。
子供の頃からの私の憧れのすべて…小碓兄さまは、私を、そしてヤマトの民を置いて逝ってしまわれた。
父上は、私の幼い頃から、数多の蛮族を征伐にゆかれ、私の側においでになることなどほとんどない。
だがお前は・・・。
子供の頃、言ってくれたよな。
『私はどこへも行きません。
ずっと、ずっと皇子さまとともにおります。』と。
今もそうか?
これからも、お前はずっと私の側にいてくれるか?」
だが、皇子さまは再び引き寄せた私の肩を、ついと押しやると、
「お前になど分からぬ。
いや、誰にも分からぬ、皇位を継ぐということがどういうことなのかを。
私は怖いのだ。」
そういうと、拗ねたように下を向いた。
私は、拳を握りしめた。
そうしないと、子供の頃のように、皇子さまに縋り付いてしまいそうだったから。
私こそ、皇子さまに問いたかった。
すでに、ナカツヒコさまのようにしなやかな少年の体を持っていない私でも、これからもずっと愛してくださいますか?
必要としてくださいますか?と。
黙り込んだ私に驚いたのか、少し腰を屈めて私の顔を覗き込んだ皇子さまは、
「どうしたのだ、タケル?
子供のときの話などしたから怒ったのか?」
と言った。
顔を上げると、すぐ側に皇子さまの目があった。
その瞳から視線を外し、私は言った。
「タケルなどと…いつまでもそのような幼名で呼ぶのはやめてください。
私には、武内宿禰(たけのうちのすくね)という名があるのですから。」
と。
「武内宿禰か…厳つい名だ。
美しいお前には似つかわしくない名だなぁ。」
皇子さまは言う。が、
「武内宿禰よ。
どうか、我が御代を支えてくれ。」
それは二人だけの言挙げだったが、私はこの日以後、命を懸けても、我が皇子さまを守り抜こうと誓ったのだった。
( 続 く )
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今回の語り手はタケル・・・改め武内宿禰さんです。 |
「とうとう御諸王別(みもろわけのみこ)は東国に行ってしまわれたわね。」
一度も会ったことのない男なのに、都からはるかに遠い『東国』という言葉に、黄泉の国でも思ったのか、ちょっぴり淋しそうに姫は言う。
御諸王別は旅立った。
遠い遠い昔、ボクたちの始祖ミマキイリヒコさまは、東国をおさめるべく皇子であるトヨキ彦さまを東国へおくったのだという。
御代がかわり、イクメさまの時代になっても、トヨキ彦さまが存命中は、東国で事が起こることは絶えてなかったらしい。
大王は、ワカタラシヒコさまを皇太子にすると、父ヤマトタケルが平定した東国へ入られた。
「事が起こるたび、大王や皇太子が都を留守にし、自らが平定に向かうような戦はもう終わりにせねば。」
大王は言われたという。
そこで大王は、今もその武勇が語り継がれるトヨキ彦さまが、まだ東国に赴く前、都で儲けた御子の孫にあたる御諸別王を、東山道十五国の都督(かみ)として東国に派遣する事にしたんだ。
「それにしても、大王はお忙しいお方ね。
皇后イナビさまの死を悲しむ間もなく東国へ行ってしまわれて。
ほんとに都には居着かないお方。」
淋しそう…といっても所詮は自分には関係のない話、姫の関心は、父の死以来、都には居着かない祖父タラシヒコさまに移った。
「居着かないんじゃないさ。
叩いたら消え、消えたかと思うとまた起こる蛮族どもの謀反を抑えるため、都に居着く暇がないんだよ、きっと。
ボクたちが生まれる前も、ずっと長い間都を留守にして熊襲退治をされたらしいし。」
「え?
熊襲は、ナカツヒコ殿の父上ヤマトタケルさまが平定されたのではなかったの?」
「だから言ってるじゃないか。
叩いたら消え、消えたかと思うとまた起こるって。
ボクたちのお祖父さまが平定した後の熊襲へ、父上が赴かれたんだ。」
「じゃぁ、大王が平定したというのに、熊襲ってまた謀反を起こしたの?」
「そうさ。
蛮族どもは頭が悪いんだ。
どうせ負けるに決まってるのに、都の関心がそれると、すぐまた謀反を起こす。」
「ふぅ〜ん、だからなのね。
トヨキ彦さまなんて、埃のかぶった伝説を持ち出して、武勇の誉れ高い御諸別王を東国に派遣したのは。」
「そうそう。
トヨキ彦さまなんて、もはや伝説の人だもん。
御諸別王が、そのトヨキ彦さまの曾孫だなんて、ホントかどうか分かるもんか。」
「そうねぇ。
でも、やっぱりお祖父さまって、とても頭がいいわ。
トヨキ彦さまのお名は都でも伝説だけど、きっと東国でも伝説になっていると思うの。
ただの将軍ではなく、あの『トヨキ彦』さまのご子孫であるなら、東国でも受け入れられるわ、きっと。
こんなに長い間語り継がれるってことは、トヨキ彦さまは、東国でも仁政をしいたのだろうし。」
ボクは、この少し年上の美しい従姉と話すのが好きだ。
でも、ほんの少しだけ思う。
もし彼女の言う通り、御諸別王が東国に赴くことでかの地が平和になるなら、父ヤマトタケルのしたことはなんだったのかって。
父の死は無意味だったのかって。
「それにしても、イナビさまがお亡くなりになって、本当に誰もいなくなってしまったわね。」
全く、女の子って・・・。
それとも、これは彼女の性格なのだろうか。
大中姫(おおなかつひめ)の関心はまたまたそれて、別の話を始める。
「大王がどんなに長い間都をお留守にしても、大王家の結束の要となって都を守っておられたイナビさまが亡くなられて、これからヤマトはどうなってしまうのかしら。」
「ヤマトがどうなったって、誰がいなくなったって、ボクたちには関係ないさ。
どうせ今までだって、ボクたちはずっと一人ぼっちだったんだから。」
ボクは少しだけ、彼女に意地悪を言ってやった。
「ナカツヒコ殿は寂しい?」
が、逆に姫に問われて、
「寂しいって、ボクにはよく分かんないや。」
なぜか赤くなってそう答えた。
「私は寂しいわ。
イナビさまがいなくなった宮は寂しい。
いつかナカツヒコ殿がいなくなったらもっと寂しい…」
そう呟いた姫が、まるでボクより小さな女の子に見えて、
「ボクは姫の前からいなくなったりしないよ。
ボクがもっと大人になったら、ボクは姫に妻問いをするんだ。」
と言った。
まだ妻問いの意味さえ知らなかったくせに。
姫はボクの言葉に頬を染めうなづいた。
時が過ぎ、子供の頃の約束のまま、私は姫を妻にした。
「おい、ナカツヒコ。
大中姫に、二人目の子が生まれたそうじゃないか。」
いつものように案内もこわず入ってくるのはワカタラシヒコさまだ。
一つ所に関心が留まらない大中姫がいるかと思えば、いつまでたっても一つのことに固執するのが、先年即位された新大王ワカタラシヒコさまだ。
祖父タラシヒコさまは、ようやく東国から戻られたと思ったら、今度は近江の高穴穂宮に居を構え、都には戻ることなく、その3年後に崩御された。
その後は、皇太子であったワカタラシヒコさまが大王に即位され、数年が経った。
「もう一人の妃、弟媛(おとひめ)にも間もなく子が生まれます。
大中姫の子たちが二人とも男子だったので、今度は女の子が欲しいと思っているのですが。」
私は、つんとすましてそう答えた。
「そうか、そうか。」
私には限りなく甘いこの叔父を、好きかと言われれば言葉に詰まるが、少なくとも疎ましく思ったことはない。
すでに妻を娶り子を儲けた私を少年の頃そのままに愛し、髪に唇に触れたがるこの叔父を。
私の膝を枕に眠るとき、必ず幸せそうに『小碓兄さま』とつぶやき眠りに落ちるこの叔父を。
「おい、ナカツヒコ。
聞いているのか?」
ぼんやりしていたらしい。
少し苛立たしげな大王の声に、私は目を上げた。
「亡き父上タラシヒコさまは、事が起こるたび、大王や皇太子が都を留守にし、自らが平定に向かうような戦はもう終わりにせねばならぬとおっしゃられた。
そして、御諸別王を東国に派遣された。」
「それがなにか?」
「やはり聞いてなかったらしいな。
私は父上の政策を国政として整備し、この度、諸国に令して、国郡に造長(みやつこおさ)を立て、県邑に稲置(いなき)を置くこととした。
これで辺境が荒れることはないだろう。」
「武内宿禰の入れ知恵ですか?
大王に即位されると、すぐさま武内宿禰を大臣にされたとか。
大王家の血に繋がるとはいえ、はるかに傍系、豪族としての地位も権力もない武内宿禰をただ幼なじみというだけで大臣の地位に就けるなど、まぶしいようなご寵愛だと皆が噂しているそうな。」
「嫉妬ならうれしいが。」
大王は少し頬を緩めたが、すぐにその笑みをおさめると、
「私は、国郡の造長には、父上の子たち、そして小碓兄上の子たちを据えようと思う。
分かるか?ナカツヒコ。
血の結束だよ。
血は決して我らを裏切らない。」
と、夢見るように言った。
そんな大王に、
「そんなに血の結束が大事なら、どうして大王ご自身のお子を儲けないのです?」
私は意地悪く尋ねた。
「私は女が嫌いなのだよ。」
大王はため息とともに言う。
「嘘だ。」
「なぜ嘘だなどと。
私が女を近づけないことは知っているだろう?
そして、こんなにお前を愛していることも。」
ワカタラシヒコさまは、そう言って私を抱きしめた。
「愛?」
「そうだ。
ナカツヒコ、私はお前を愛しているのだ。」
そう言って、私に口づけるワカタラシヒコさまに、
「大王が愛しているのは、私ではない。
亡き父ヤマトタケルだ。」
私は再び意地悪く言う。
「そもそも愛などという言葉は、単なる閨での媚薬にすぎません。
正直なところ、私には、愛が何たるかなど分からないのですよ。
大王はご存知でしょうか。
亡き父が華々しく凱旋した熊襲との戦。
その華やぎのさなか生まれた兄イナヨリは夭折してしまいました。
父は母の不注意を責め続け、その後に生まれた私や妹を顧みようともしなかった。
母が身罷った後は、皇后であった祖母上イナビさまが私たち兄妹を引き取り慈しんでくださいましたが、母のような愛情を注いでくださるには、皇后としての責務が忙しすぎた。
そして私の父が身罷りました。
次には、祖母上イナビさまも身罷られました。
一人ぼっちになった私たち兄妹は、肩を寄せ合ってひっそりと生きてきたのです。
愛がなんたるかも知らないまま。」
「哀れな。
愛しい・・・」
言いながら、大王の大きな手が素肌を這う。
私はくすぐったくてクスリと笑った。
「なぜ笑う?」
「大王は女が嫌いといいながら、実は女が怖いのです。」
大王の手に素肌を許しながら私は言った。
「怖いと?」
「女の腹からは、私を殺す者が生まれてくるから。」
「?」
「今もなお、亡き父ヤマトタケルの名は偉大です。
大王は、血は裏切らないといいながら、大王のお子が私を恐れ、そして亡き者とすることが恐いのです。」
「なんにせよ、私は女など近づけぬ。
そして、子など作らぬ。
私はお前のものだ。」
「大王」
「大王などと呼ぶな。
二人きりのときはワカタラシヒコと呼んでくれ。」
「ワカタラシヒコさま・・・」
私には愛など分からない。
だが、この体の温もりを愛と呼ぶなら、しばらくは、この叔父が与えてくれる快楽に沈むのも悪くはないだろうと、私は、大王の愛撫に身を任せた。
( 続 く )
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今回の語り手はヤマトタケルの息子であるナカツヒコくんです。 |
|| ||
↓↓ ↓↓
☆★☆ここで、ちょこっと本編から離れてコーヒーブレイク☆★☆
お友達の白鳳ちゃんがサイドストーリーを寄せてくれました
必ず笑います
おなかを抱えて笑って、
そして、明日からもお仕事&学校を頑張るぞ!
と、元気になれること請け合いです
♪ぜひぜひご覧下さいませ♪
申の刻下がり、大碓は帰宅した。
家に帰ると、子供たちと妻二人が食後の団欒を楽しんでいる。
「あらあなた。帰ってたの。
先にお風呂にする?それともご飯?」
そう聞いてくるのは二人いる妻のうちの一人、兄遠子だ。
彼女は若い頃はそれはそれは美しかったのだが、
今ではもうすっかりお腹周りのお肉が気になるお年頃になっている。
もう一人の弟遠子は二の腕のお肉が些か気になる感じだ。
かくいう大碓も、最近下っ腹が気になっている。
けどまぁ、娘に毛嫌いされる父親が増えている今日この頃だ。
けれどもそんなこともなく、子供たちはまっすぐに育ってくれた。
ともなればお腹周りの贅肉が気になろうが、
二の腕のお肉が増殖しようが、
下っ腹がいやに存在をアピールしてこようが、
それこそが平和な証拠なんだと思う。
大碓は上着を脱ぎながら、いつものように、飯、と答えた。
そして食卓の自分の指定席に腰を下ろすと側にあった「美濃日日新聞」の夕刊を広げる。
一面に「皇太子ワカタラシヒコ即位」の見出しがあった。
あの小さかったワカタラシヒコがなぁ…と、
しばしの間感慨に耽る。
そして新聞をめくっていくと、
新聞の三分の二より下のあたりにいつものことながら、
毎週金曜日に発売の「週刊ヤマト」の広告が載っている。
「人気女優、10歳年下のアイドルとの密会現場激写」
「俳優○○、熱愛発覚」などという芸能ネタの次には
所謂「皇室ネタ」というやつがある。
いつの時代も、庶民は高貴な方々のゴシップ記事が好きなのだ。
「きゃー、新大王ってばやっぱそうだったのね!」
大碓のとなりから年に似合わない、きゃぴっとした声が聞こえる。
多分、弟遠子だろう。
「ふふ、おかしいと思ってたのよ。
だって、あの人一向に妻を娶らないんだもの」
意味深にそう言うのは多分長女、兄姫。
「ねぇ父様」
母、弟遠子に似て愛らしい次女、弟姫の声に大碓は新聞から顔を上げた。
そしてその瞬間、仰け反った。
「……ヒッ!!ど…どうしたんだその顔…」
仰け反ったまま、大碓はわなわなと震えながら娘の顔を指差す。
「ああこれ?」
弟姫はかわいらしく首を傾げる。
いや、その顔でされても全然かわいくない。むしろ、怖い。
「試供品よ、あなた。
いっぱいもらってきたから何だったらあなたも使っていいわよー」
台所から兄遠子が大声でそう言う。
そう、弟姫はパックの試供品をお試し中だったのだ。
「誰が使うかっ!」
大碓はバッと顔を新聞の紙面に戻した。
「ちょっと父様。聞きたいことがあったのよ」
相変わらずパックをお試し中の弟姫がそう言って
大碓の服の裾をちょいちょいと引っ張る。
「何?」
「あの、大王さまって、どんな人?」
「ん?ワカタラシヒコ?」
と、さらっと言ってからはたと気がつく。
そうだ、もうあいつは大王でこっちはしがない中年親父だ。
口のきき方に気をつけなくては。
「ワカタ…っと大王はまぁ、小さい頃しか知らないけど、
別にどうということもない感じの人だったと思うけど?」
その昔、大碓は父である大王の妻となるべき女を奪った。
まぁそれが今の試供品大好きな兄遠子とゴシップ大好きな弟遠子なのだが。
その恋の詳しい顛末は本編を読んでもらうことにして、
ともかく大碓はそれ以来ずっと美濃にいる。
都にいたのは15、6の頃までだ。
その頃のワカタラシヒコはまだ8つくらいで、どんな人、と言われてもよくわからない。
「あ」
大碓は何かを思い出して新聞から顔を上げた。
「確か大王といつも一緒にいた子がいたな。タケル…って言ったっけ?」
「そう!それ!」
いきなり生き生きとした張りのある声でそう言ったのは兄姫である。
「ほら父様、これ見て!」
そう言って兄姫と弟姫が新聞を取り上げて大碓の目の前に突き出したのは…。
…宇宙戦艦…じゃなくて週刊ヤマト。
これ、ウチにあったんだ…。
大碓は娘たちがビシッと指差す記事を見た。
そして、見事に固まった。
…っえぇーーーーっ??!!
と、次の瞬間仰け反った。
その記事を見た衝撃は、弟姫のパック姿を見たときを軽く上回った。
仰け反りすぎて、椅子から落っこちてしまった。
「と…父様?!」」
白目を剥いて床に転がる父に、娘たちが駆け寄る。
「弟遠子、いったい何があったのよ?」
大碓の食事を運んできた兄遠子が週刊ヤマトを読んでいる弟遠子に聞く。
「ああ、この記事よ」
弟遠子は例のアノ記事を指差した。
「…あー、これは大碓さまには刺激が強すぎたわねー…」
「マスコミって…マスコミって…。
本当、ただウケればいいんだな…。怖ー…」
やっと意識の戻った大碓がぶつぶつ呟きながら椅子に這い上がってきた。
そう、大碓が見た記事とは…。
「女嫌いの新大王(33)を頂点に男三人の愛と憎しみの三角関係」
「ワカタラシヒコ新大王(33)は幼馴染である武内宿禰(33)を豪族としての地位も権力もないにも拘らず大臣に任命した。
もしや、お二人の間には単なる幼馴染を超えた特別な想いがあったのか。
また、新大王は自身の甥であり、かの日本武尊の子息であるナカツヒコ皇子(22)とも深い関係にあることが当編集部の特派員の調査により、判明した。
新大王が自身の今は亡き兄である日本武尊に強い憧れを抱いていたことは以前に当雑誌でお伝えした通りであり、兄に対する報われない想いがその子息への恋心になったのか…?
大臣武内宿禰とナカツヒコ皇子。一体大王の心はどちらにあるのか」
写真1:親密なご様子のワカタラシヒコ大王とナカツヒコ皇子
と、週刊ヤマトの記事は報じている。
大碓は箸を取って夕飯を食べ始めた。
いつもは美味しいはずの夕食なのに、衝撃が大きすぎて全く味がしない。
大碓は夕食を食べ終わるとよろよろと自室に引き上げた。
居間からは、まだ兄姫やらの「萌え〜vv」とか言う声が聞こえてくる。
そりゃ、あいつらはいいだろう。
けれど大碓にとっては大王は弟であり、会ったこともないとはいえナカツヒコは甥だ。
大碓は窓辺に立って空を見上げた。
…小碓…どうもおまえ、ワカタラシヒコに熱愛されてたみたいだぞ。
そんでもってお前の息子はどうも立派なゲイに育ったらしい。
あはは…おまえホント、死んでてよかったな…。
存命中にゲイの弟に熱愛されて息子までゲイになってたんじゃ白鳥伝説も台無しだもんな…。
ていうかその前におまえ、鬱まっしぐらだよな…。
シベリアへ旅立ってゆく白鳥の鳴き声が聞こえた気がする。
それはとても哀切な声に思えた。
…小碓、泣いていいんだぞ。
大碓は儚く散って伝説になった…まではいいのだが、
いつの間にかゲイたちの中心にいることにされてしまっている弟に思いを馳せた。
↑↑ ↑↑
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いかがでしたでしょうか? 番外編は楽しんでいただけましたか〜?
白鳳ちゃんの「とぶとりの飛鳥」は素敵なストーリーが満載です☆
興味を持たれた方はこちらをどうぞ
「姫、入っていいかな。」
大王である私の声に、慌てて起きあがろうとする姫を、
「そのままで。」
私は制したが、私が止めなくても大中姫(おおなかつひめ)はすでに起きあがることはできなかっただろう。
あまりに病みやつれた姫の姿に私は驚いたが、
「いったいどうしたというのだ?
ナカツヒコから、しきりに姫が私に会いたがっていると聞いたのだが。」
強いてさりげなく、私は訊ねた。
「大王にお願いがございます。」
枕辺に腰を下ろした私の手をひしと握り、姫は言った。
それは、このやつれた体のどこからそんな力が…と思うほど強い力だった。
そして、
「私の子たち、カゴサカとオシクマは、どうか遠国に遣らないで下さいまし。」
はらはらと涙をこぼしながら、姫はそう言うのだった。
私は驚いて、
「そのような話を誰が姫の耳に入れたのだ?」
と訊ねた。
「御諸別王(みもろわけのみこ)が東国に赴いて以来、十年余りが過ぎました。
その間、大王は、先王タラシヒコさまのお子たちをはじめ、大王家の皇子たちを、次々と遠国へ派遣されています。
乳母を伴わねばならぬような頑是ない皇子たちも、容赦なく国の都督(かみ)として送り込まれているとか。
どうして、次がカゴサカやオシクマではないと申せましょう。」
唖然とする私をよそに、
「私のオシクマはまだ十歳。
カゴサカだって、まだ十を少し越えたばかりです。
どうか、この幼い愛しい者たちを私から奪わないで。」
姫は言い、だがさすがに疲れたのか、掴んでいた私の手を離した。
「奪うなどと・・・。
姫は誤解しているのだ。」
私は、その血の気のない姫の手をさすりながら、ようやくそう言ったが、
「いいえ、いいえ。
子供たちがいるところこそが私の居場所なのですわ。
ようやく得た私の居場所を、大王はまた奪うというのですか。」
姫は、私の言葉など、全く耳に入っていないかのようにさらに言い募る。
私は姫の手を取り、その目を見つめ言った。
「姫、聞いてくれ。
我々は大王家の者だ。」
「それが?
子を思う気持ちに、大王家も下賤もありませんわ。」
「私には子がいないから、姫の気持ちのすべてが分かるというわけではないが、子を思う親の気持ちは、生きとし生けるものすべてに共通の思いなのだろう。
だが、私たちは、天神(あまつかみ)につながる選ばれし者だ。
我々は、己一人の思いより先に、民の幸福を思わねばならぬ。」
ようやく私の目を見返した姫に、
「民に豊かな実りを与えることこそが、私たちの生きる意味なのだよ。」
私は静かにそう言った。
疲れたように目を閉じた姫は、
「それでも私は、大王家の者であるより先に、子供たちの母親ですわ。」
溜息と共に言う。
「姫は、私が気紛れで、弟たちを遠国へ送り続けているとでも言うのか?
国は広い。
辺境には、まだ教化に従わず、戦いを挑んでくる蛮族もいるだろう。
国の境を決め、そのそれぞれに都督(かみ)として皇子をおく。
皇子であることが重要なのだ。
単なる属国ではない。
皇子が都督となることで、辺境の国もヤマトと一体になれるのだ。」
目を閉じたままの姫に、
「もちろん、幼くてその重責かなわぬ者には、しかるべき将軍をつける。
皇子たちの身は必ず私が守る。」
私はさらに言った。
「それでも、それでも私は嫌です。
大王には私の気持ちなど分からない。
お幸せに生きてこられたあなたには。」
姫は目を閉じたまま言った。
「私が幸せと?」
「そうです。
幼い頃から今日まで、母上さまの愛に守られ、母上さまのご実家には美濃という立派な後ろ盾があります。
大王にはいつだって帰れる場所がおありなのです。」
姫は目を開けたが、その瞳には白々とした拒絶が浮かんでいた。
言葉をなくした私をよそに、姫は言う。
「私やナカツヒコ殿は違います。
私は幼い頃に両親を亡くしました。
父の妃であった私の母は身分も低く、その実家は、皇女である私を支えるような力はありませんでした。
そして、私は孤児のように皇后宮に引き取られたのです。
父の母であったワカヒメが、イナビさまの妹だったという縁で。」
姫の目は再び強い光を放ち、挑むように私を見た。
「だから姫とナカツヒコは幼なじみなのだな。
ナカツヒコがイナビさまの宮にいた頃、私がナカツヒコを遊びに連れ出すと、いつも私を睨みつけていた少女がいた。
覚えているよ。」
さすがに、今の姫の目にそっくりだとは言わなかったが。
「私から奪わないで下さい、子供たちを、そして夫を。」
姫の、強い光を放つ目の輪郭がぼやけ、大きな瞳から美しい涙の粒がこぼれた。
涙は次々と溢れ、姫の枕を濡らす。
私はそっと姫の涙をぬぐうと、言った。
「奪わない。
私は与えるのだ、民に平安を。
私は大王だからな。
父は偉大な大王だったが、父の時代のヤマトは戦乱の連続だった。
戦乱は民からすべてを奪うのだ、幸せも・・・命さえ。
私は誰がどう言おうと、国郡制度を整えるつもりだ。
ヤマトがいつまでも豊かな実りにつつまれるように。」
と。
姫は驚いたように目を見張り、小さく瞬きをした。
「私は子たちへの愛情に目がくらんで、国のことなど何一つ思わずに過ごしてきました。
大王が御位につかれて十数年、血なまぐさい戦もなく、毎年のように大地は豊かな実りを与えてくれました。
それは、大王の深い考えがあってのことだったのですね。」
姫はそう言うと、起こしてくれというように、私に手を伸ばした。
姫の背を支えて床から起こしてやると、姫は、窓からの光にまぶしそうに目を細めた。
そして、少し背を伸ばすように窓に目をやったが、
「ダメだわ。
やっぱり見えない。」
そう言って、ぐったりと私の腕に身を委ねた。
「大王、私はこのように寝ついてしまって、もはや外を見ることもできません。
今は実りの季節ですね。
今年も稲穂は海の波のようにそよいでいますか?」
私は姫の背をさすりながら、窓から一面に広がる民たちの実りを見た。
「あぁ、稲穂が風にそよいで、まるで金の海のようだよ。」
私は答える。
「もうすぐ民たちの祭り囃子が聞こえてくるだろう。
美しい国だ、ヤマトは。
私はこの国をナカツヒコに譲る。」
エッと、姫の背が震えた。
「愛しているのですか? 夫を。」
私は姫の意外な問いかけに驚いたが、
「兄ヤマトタケルが東国で横死していなかったら、この国を統べるのは兄のはずであった。
そして兄の次にはナカツヒコが。
私は兄の身代わりだ。
戦に疲れたヤマトを癒し、豊かなヤマトをナカツヒコにおくるための。
愛しているのかと問われれば、それが私の愛の形だ。」
なぜか私は、誰にも言ったことのない胸の内を姫に明かした。
「大王・・・」
喘ぐように姫は言う。
「それに、私は姫の子たちを遠国にやったりしない。
勘違いしないでくれよ、姫の懇願があったからではない。
カゴサカやオシクマは、ナカツヒコの後を継ぐ者だからだ。」
「夫が大王になることすら考えてもおりませんでしたのに。
息子が大王になるなんて・・・そんな夢みたいなこと。」
白い姫の頬に、ほんの少し血の色が戻ったような気がした。
「考えていなかったというなら、これからは考えてくれ。
私は大王として、必ずや実現させてみせるから。」
私は姫を静かに床に横たえると、
「つらいだろうが、これだけは聞き分けてくれ。」
と言った。
「オキナガヒメをナカツヒコの妃にする。」
と。
「オキナガヒメ?」
「ナカツヒコに皇位を譲ることを、武内宿禰は快く思ってはいない。
あいつは切れ者だ。
姫には悪いが、武内宿禰や、他の豪族どもを押さえるには、しかるべき家を持つ姫が必要なのだ。
オキナガヒメのバックには、息長(おきなが)と葛城がいる。
彼らは、必ずやナカツヒコを支える力となってくれるだろう。
政略だよ。」
「分かりましたわ。」
再びこぼれ落ちそうな涙をこらえ、姫は答えた。
「だからといって、姫がいなくなっていいというのではないぞ。
幼い頃に親を亡くした子の気持ちは姫が一番よく知っているはず。
早く病を治し、いつまでも子らを見守ってやってくれよ。」
私は言った。
この言葉がいかに虚しいか分かってはいたが。
姫の命の火は間もなく消えるだろう。
だが、姫がいなくなっても、姫の生み残したカゴサカやオシクマが、姫の愛を伝えるだろう。
小碓兄上がいなくなっても、ナカツヒコが兄の偉業を継ぐように。
私は、この愛しい者たちの世も平安であるようにと願う。
そのためにも、国郡制度は私の世で完成させねば。
私は、ふとよぎった、ナカツヒコの践祚には必ず反対するであろう武内宿禰の端正な面影を打ち消したのだった。
( 続 く )
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今回の語り手は大王ワカタラシヒコです。 |
もうダメなのか…。
私の大王がこの世を去ってしまう。
私は、病のため、私の細腕より更に細くなってしまった大王の手を握った。
「私の寿命は間もなく尽きる。
この世を去る男の最期の頼みでも、やはりそなたは聞き入れられぬと言うのか?」
苦しげに、咽の奥から絞り出すような声が聞こえた。
大王は、長い昏睡から一時目覚めたらしい。
だが、神が与えた一時の目覚めの時も、大王の心を占めるのはあの男のことだったのだ。
「聞けませぬな、そのような頼みは。」
私は冷たく言った。
大王は、握った私の手に縋るように微かに半身を起こすと、
「私は父のような偉大な大王ではなかったかも知れぬが、私は私なりに民のために尽くしてきたつもりだ。」
と、やはり口元に耳を近づけねば聞こえぬほどの小声で述懐した。
戦を起こし、国の版図を広げた王を偉大な王と呼ぶなら、確かにワカタラシヒコさまは名君ではなかったかも知れない。
だが、ワカタラシヒコさまが内政に力を注いだおかげで、民たちは多くの実りを得、国力は充実し、なによりも皆が平和を謳歌した、この10年の治世だったのだ。
だからこそ、と私は思う。
その豊かなヤマトを譲るのが、なぜナカツヒコさまでなければならないのかと。
「私は道半ばで斃れる。
未だ、ヤマトは一つにはまとまっておらぬ。
この先を任せるのは、ナカツヒコだけでは心許ない。
他の豪族も己の勢力を増すことに躍起になるばかりで信用はできぬ。
そなただけが頼りなのだ。
ナカツヒコの力になってやってはくれぬか?」
もうすでに焦点を失った瞳で、それでも握り合った手に力を込めて大王は言う。
私は、支えていた背、その骨だけになってしまった大王の背を抱きしめると、
「そのように哀願されてもダメです。
私の考えは変わりません。」
と、溢れそうになる涙をこらえ、震える声でそう言った。
「なんという頑固な男か…。
今このときになって、この病み衰えた私が、自分の子孫を残すことなどできぬと、そなただって分かるだろう?
武内宿禰よ、私はもう死ぬのだよ。
ナカツヒコがさほどに気に入らぬのか?」
「気に入りませぬ!
あの男は、私からあなたの愛を奪い、そしてあなたの愛を独占した。」
私はこの10年間、いつも心の中に渦巻いていた想いを吐き出した。
それは、決して言ってはならないことだったのに…。
抱きしめていた大王の背が、驚いたようにビクリと動いたが、
「ナカツヒコの立太子はすでに決まったことなのだ。
今さら、太子の首をすげ替え、弟たちの誰かを大王に推すことなど不可能だ。
そのようなことをしたら、国が揺らぐことくらい、そなただって分かっているはず。」
大王は、私の投げかけた言葉には答えず、そう言った。
「そのようなことを申し上げているのではありません。」
私は、いらだちを隠せず言葉を荒げた。
大王は更に驚いたように、握っていた私の手を離した。
そして、背を支えていた私の手も払い、自身の力で半身を起こした。
そして、今まで熱のため焦点を失っていた瞳に、しかと光を宿すと、私の目を見つめて問うた。
「そなたは何を考えているのだ?」と。
「大王、お忘れですか?
私と大王は、同じ年の同じ月、同じ日にこの世に生を受けました。
そして同じ日にこの世を去るのです。」
私は静かに言った。
「そ、そなた。
殉死するつもりか!?」
大きな声を出したせいで、咳き込んだ大王はそのまま床に突っ伏した。
苦しそうに呻く、いや呻く体力もない病人を苛むように、咳はなかなか止まらない。
私は大王の背をさすりながら、
「いけませんか?」
と訊ねた。
「殉死は法で固く禁じられている。」
咳の合間、大王は絞り出すようにそう答えた。
「死んでしまえば、もうこの世の法など及ばぬこと。
黄泉路まで大王のお供をすると、私はずっと決めておりました。」
「タケル…」
最期に懐かしい幼名で私を呼んだのが、大王の発した最期の言葉となった。
大王は、また長い昏睡に入り、そしてもはや目覚めることはなかったのだ。
目覚めることもないまま、大王の死との戦いは続く。
春になり、白鳥たちが一斉に北の国へと旅だった。
ワカタラシヒコさまが愛してやまなかった兄、ヤマトタケルノミコト。
幼い頃からワカタラシヒコさまの心をとらえ続けたかの英雄を、私はずっと疎ましく思ったものだった。
だが、私は願った。
ヤマトタケルさまに、ほんの少しでもワカタラシヒコさまを想う心があるなら、彼の魂を連れて行って欲しいと。
早く、この死との戦いから、ワカタラシヒコさまを解放してやって欲しいと。
それほどに、大王の死の苦しみは激烈だった。
花が咲き、若葉が芽吹き、ワカタラシヒコさまが愛したヤマトが春の華やぎに満ちても、大王は目覚めることのないまま、やはり死との戦いは続く。
田植えをする民たちの歌声は、大王への祈りの声に変わった。
「ワカタラシヒコさま、聞こえますか?
あなたは、父王のような名君ではなかったと、いつもご自分のことを卑下されていましたが、このように民たちから愛された大王がかつていたでしょうか。」
私は床に横たわる言葉を発しない主に、小さくそう呟いた。
一寸先も見えないほどの豪雨…梅雨の終わりを告げる雨が3日も続き、からりと晴れ上がったその翌朝。
夏の日差しを予感させる日が昇る頃、大王はようやく死との戦いを終え、身罷った。
もしこのまま夏を持ちこたえられたとしたら、民たちの実り、大王が何よりも愛した稲穂の金の海が見られたのにな、というのが、大王の死のあと、私が最初に思ったことだった。
昨日までは、その苦しみを見かね、少しでも早い死を願ったというのに。
私はそっと、大王の枕辺を離れ、久方ぶりに屋敷へと戻った。
帳を開ける前、振り返ると、あの壮烈な死との戦いが嘘のように、眠るように横たわる大王がいた。
私は、大王に束の間の別れを告げた。
屋敷に戻ると、私は湯浴みをし、これまた久方ぶりに髪を整え、髭を剃った。
鏡に映る私の顔は、かつてワカタラシヒコさまが何度も言ったように、不思議なほどに東国に旅立つ前のヤマトタケルさまによく似ていた。
何度言われても、私自身、ちっともヤマトタケルさまに似ているなどと思ったことはなかったのに。
今では、ヤマトタケルさまが東国に旅立たれたときより、私の方がはるかに年をとってしまったというのに。
私は鏡の前を離れると、剣を手に取り、その鞘を払った。
死への迷いはなかった。
梅雨が終わり、夏の日差しが降り注ぐ今日の日が、私と大王の死にふさわしい日だと、私は思った。
なのに・・・
「宿禰どの?」
帳を開けて、長い白昼夢の中にいた私を現実に引き戻すような、少女の甲高い声が聞こえた。
私はここにいるはずもない人を見て、握っていた剣をカラリと落としてしまった。
いったいなぜ姫が・・・?
そして、私は、日頃には似ても似つかぬ素っ頓狂な声を出してしまったのだった。
「オ、オキナガ姫さま。
どうしてここに?」と。
オキナガ姫さま…。
先年、ナカツヒコさまが娶った新しい妃。
『オキナガの姫をナカツヒコさまの妃に配するなど、正気の沙汰とは思えません。
オキナガの姫なら、ナカツヒコさまではなく、あなたさまが娶り、子を得たらよいではありませぬか。』
かつての大王との諍いを、私はほろ苦く思い出した。
私はナカツヒコさまの立太子に反対し、大王と和解できぬまま、大王は病に倒れたのだった。
姫は、私が落とした剣を見て驚いたようだが、それには触れず、
「長い間の大王の看取り、本当にご苦労さまでした。
久しぶりにご自宅に戻られたというのに急かすようですまないと思いますが、数々の儀式の準備が大臣なくしては進みません。
一刻も早く宮にお戻りを。」
澄んだ声でそう言った。
「宮に? もう大王はおられぬのに?」
私は、まだ夢から覚めぬまま、ぼんやりとそう呟いた。
「この国が主を亡くしたことは、民にとっても私にとっても大きな衝撃です。
ましてや幼い頃よりずっと大王に侍してきた宿禰どのにとっては、一歩も前に進めぬような喪失感に見舞われるのは無理からぬこと。
でも、あなたはこの国の大臣です。
大臣としてなさねばならぬことが、宮にあるのです。」
理路整然と放たれた少女の言葉に、私は返す言葉なく俯いた。
「しっかりなさって。
ワカタラシヒコ大王の葬送の準備は?
新大王の登極の手はずは?
すべてはあなたが執り行わねばならぬことですよ。」
「大臣位は辞すつもりです。」
さらに言い続ける少女に、私はポツリとそう呟いた。
「もともと、私の大臣位はワカタラシヒコさまが下さったものだ。
豪族としての力もなく、皇族としてもはるか傍系の、私などが就くべき地位ではなかった。」と。
少女は、一瞬虚をつかれたようだったが、目を上げると、
「じゃぁ、それは新大王におっしゃって下さい。
すべての儀式を終えて、正式に新体制が発足した後に。
大臣を任命されるも罷免されるも、それは大王にしかできないことなのですから。」
そう言ったのだった。
「・・・・・」
「宿禰どの?」
「まだワカタラシヒコさまは、今朝がた息を引き取られたばかりだというのに。」
私はまたポツリと呟いた。
この娘ほども年下の少女相手に。
「宿禰どの、あなたは死ぬおつもりね。」
少女の目が黒から微かに灰色に変わり、やがて色を失い、再び光が戻ってくると、その強い光で私を見据え、少女はそう言った。
大王家には、時折、神と話ができる霊感を持つ姫が生まれるそうな。
この姫もそうなのだろうか…。
大王にだけ明かした私の秘密を、一瞬にして見抜くとは。
私は目の前で見た神秘に驚きはしたが、
「いけませんか?」
と、挑むように訊ねた。
「殉死は禁じられています。」
静かに姫は言った。
「それが?」
「ワカタラシヒコさまは、あなたを大臣にされた。
そして、あなたはそれを受けた。
だとしたら、少なくともその役目は全うせねばなりません。
新体制が整い、新しい大臣が決まるまでは、あなたがこの国の大臣なのです。
あなたは、ワカタラシヒコさまがこよなく愛されたこのヤマトを、混乱のまま、放り投げて逃げるのですか?」
正論だ。
だが、その正論に理屈を返す気力も失せて、私は姫に背中を向けた。
一刻も早く、この小生意気な少女に目の前から消えてほしかったのだ。
「ワカタラシヒコさまから伺いました。
ワカタラシヒコさまとあなたは、 同じ年の同じ日に生まれたとか。
で、同じ日に死んで、このロマンチックな運命を完結させようだなんて…。
そのような感傷が、政治の場に入る余地などないこと、いくつもの修羅場をくぐってきた宿禰どのに分からぬはずがないと思いますが。」
いかに霊力を持っていようとまだ子供だ。
政の場でどんなに冷酷な決断を下そうとも、そんな男にでも感傷はあるのだ。
相反する心が一つの体に宿るなどということは、年若い姫には理解できないことだろう。
「姫よ。
そのバカげた感傷に殉じてはいけませんか?」
私は、それこそバカげたことだと思いながら、この若い娘に反駁した。
「バカげたことです。」
娘は、小気味いいほどはっきりと、そう言い放った。
「私は主を失ってしまったのです。
私はこの国を、民のことを考えているといいながら、実は、ワカタラシヒコさまのことしか考えていなかったのだ。
ワカタラシヒコさまの御代安らかなれと。」
それでも、私を言葉を止めることができなかった。
「同じように、ナカツヒコさまの御代のために生きて欲しいというのは無理な願いですか?」
姫は、やはり澄んだ声で言った。
「その死を願ったことさえあるナカツヒコさまのために生きよと?」
死という言葉に、姫は驚いて目を見開き、
「死などと…そのような物騒な。
いったい大臣と、我が背の君、そして亡き大王との間には何があったのですか?」
と、問うた。
「姫は知らなくていいことです。
どうしてもお知りになりたければ、ナカツヒコさまに問うがいい。
私はただあの男が気に入らないだけだ。
なんの苦もなく、理想も理念もなく、『大王』という宝珠を手にするあの男が。
あの男のために生きるなど、真っ平御免です。」
「では、わたくしのためには?」
少女の口から漏れた言葉に、今度は私が虚をつかれた。
それがあまりにも意外な言葉だっただけに、なぜか素直に私の耳に、頭に入ってきたのだ。
「あなたのために?」
「そう。
わたくしの御代のために。」
いつの間にか、再び少女の瞳は色を失い、彼女は、その空洞となった瞳の向こうにいる神の言葉を聞いているようだった。
私はどうして…という根拠もなく、心を決めた。
私自身のドラマの完結を、この少女の手に委ねてみようと。
そして、この少女が描く未来のため、私は再び立ち上がったのだった。
(成務天皇 完)
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ワカタラシ大王の御代の最後を語ってくれるのは、彼を心から愛していた武内宿禰(幼名・タケルくん)にしてみました。 |