ガッシャーン・・・
瓶子の砕け散る音に私は耳を押さえうずくまった。
「その目はなんだ。
そなたも私を笑っているのかっ!」
瓶子を投げ捨てたナカツヒコさまは、イライラと卓子の上を睨め付け、適当な器がないと見ると、今度は酒壺ごと酒を口に運ぶのだった。
「宿禰どの、儀式の準備は滞りなく?」
我が背の君、太子であったナカツヒコさまは、先の大王ワカタラシヒコさまの後を継いで大王位に就いた。
先年の初夏にワカタラシヒコさまが身罷られて、それからは儀式とその準備に追われ、1年あまりがめまぐるしく過ぎていった。
新大王ナカツヒコさまは、何かに怯えるように御酒におぼれ、正妃であった大中姫さまも亡き後、政は、大臣である武内宿禰どのと私が執り行うことが習慣となってしまった。
大臣の地位に重きが増すことが、さらにはナカツヒコさまを御酒へと向かわせる原因にもなっていたのかも知れないけれど。
「障りもなく進んでおります。
先の皇后を、皇太后と称するのは古代からの習わし。
ナカツヒコさまの母君フタジ姫さまは、すでに身罷られておりますが、それも歴代には例のあること。
ただ・・・」
「ヤマトタケルさまは大王ではなかった。
よって、フタジ姫さまは、生前も皇后ではあれせられなんだ。
それは確かに異例のことですね。」
言い淀んだ宿禰どのに代わって私は言った。
「左様でございます。」
一瞬のためらいの後、宿禰どのはそう答えた。
「その事実が、儀式を行うに当たって障りになろうか…。」
憂い顔になった私を見て、
「いえ、その件に関しましても、諸豪族、及び皇族方にはすでに根回しをしておりまする。
この大臣にお任せ下さい。
私としたことが、オキナガ姫さまのお心を乱すような申し上げよう、申し訳もござりませんでした。」
大臣はきっぱりと言ったのだった。
「いいえ、ここには大臣とわたくしだけしかおりません。
わたくしには、忌憚のない意見を申すよう。」
「フタジ姫さまに皇太后位を賜る儀式の方はともかく、先年には先の大王ワカタラシヒコさまの殯も終わり、陵も完成いたしました。
春にはナカツヒコさまの登極の儀式も滞りなく終わり、此度のフタジ姫さまの儀式が終われば…。
来春には、オキナガ姫さまの立后の儀式を盛大に行うよう、私はすでに準備を始めておりまする。」
しかつめらしく言う大臣をよそに、私は思わずクスリと笑ってしまった。
宿禰どのは驚いたように尋ねた。
「姫よ、なにか?」と。
「いえ、大臣が、ワカタラシヒコさまの陵に、ご一緒に入ってしまったりせずに本当によかったなぁと思って。
大臣は、これからも、わたくしと共に歩んでくれると思ってよろしいのかしら?」
私の軽口には乗らず、
「私の方こそ、オキナガ姫さま、あなたの本心が知りたい。
姫は、ナカツヒコさまの后となり、我がヤマトの母となる覚悟がおありか?」
急に眉をひそめた宿禰どのはそう言うと、部屋の隅に今も大切に置いてある粗末な籠を取り上げた。そして言った。
「まだ、このようなものを大切になさっているのですか?」と。
「わたくしは近江の湖の畔で育った。
本当に、ついこの間までは、里の子供たちと一緒に真っ黒になって遊んだものです。
こうして宮にいる私の方が嘘のような…。」
大臣が取り上げた籠は、たくさんの郷愁を伴って私の心を締め付けた。
「これと同じ籠が、ずっとワカタラシヒコさまの病床の枕辺にも置いてありました。
『あの富者であるオキナガの姫が拝謁に持ってきたのだから、てっきり翡翠か玉かと思ったら、籠の中身は貝殻だったのだよ。』
ワカタラシヒコさまは、そう言って笑いながら、しかしとても嬉しそうに話していらっしゃいましたなぁ。」
でも私は、宿禰どのの口まねが面白くて、またクスリと笑ってしまった。
本当にそれは、亡き大王によく似ていたから。
冗談や軽口などを好まない大臣が、それでも精一杯、私を慰めるつもりだったのだろう。
「ナカツヒコさまとの婚姻が決まってから、来る日も来る日もそれは一生懸命拾ったのですよ。
同じ籠を、ナカツヒコさまの先の妃、大中姫さまにも差し上げました。
カゴサカ王にも、そしてオシクマ王にも。
大中姫さまは、この貝殻をことにも喜んで下さり、ご自分の死後は、必ず陵の中に入れるよう、わたくしの手を握っておっしゃったのでした。」
言いながら、私はとうとう涙をこぼしてしまった。
近江での幸せだった少女時代。
そこには、私の心を傷つけるものは何一つなかった。
私は、父の、母の、村の民たちの愛情に包まれ、なに不自由なく育ったのだった。
私は近江の湖を愛した。
父母や私が身を飾る見慣れた翡翠や玉より、湖の賜り物である貝殻は、私だけの宝物だった。
私は、自分の宝物を、これから私の大切な家族となる人たちに贈ろうと、『日に焼けるではないか』と父が小言を言うのも聞かず、毎日毎日、貝殻を探して湖辺を歩き続けたのだった。
小言を言いながらも、『姫や、美しいなぁ』と目を細めながら、私が拾った貝を見つめる父。
これからも、そんな眼差しに包まれて暮らしていけるのだと信じて。
私の涙を見逃さず、宿禰どのは言った。
「だが、一人だけ、姫の真心を小馬鹿にした男がいた。
そして、突っ返された籠が今ここにあるというわけですな。
姫はまだ、いつかは姫の心がナカツヒコさまに通じると信じて、あの籠を大事に置いているのですか?」と。
それは、容赦のない言いようだった。
「いいえ、もはや、そのようなことを考えているのではない。
わたくしは今もまだ子供ですが、この貝殻を拾っていた頃は、本当に何も分からぬ子供だった。
でも、夫となるナカツヒコさまに愛され、大王に認められ、ヤマトのために尽くそうと誓って、宮に参ったのです。
たとえ今の境遇がどうであろうと、その心だけは忘れたくない。
この貝殻を見ると、近江の湖と共に、そのときの優しい心が甦ってくるのです。
だから・・・」
私は貝殻を取ろうと、籠に手を伸ばした。
伸ばしたはずみに、袖からのぞいた小さな傷を見逃さず、宿禰どのは、
「姫、その傷は?
またナカツヒコさまが?」
と訊ねた。
「いいえ、大したことではないのです。
ナカツヒコさまが瓶子を落とされ、割れたはずみに、その破片で切っただけ。
それだけのことです。」
私は言った。
「ナカツヒコさまは、相変わらず、毎夜のように御酒を召し上がるのですか?」
宿禰どのは、あからさまに眉をひそめた。
「私には、ナカツヒコさまのお心がよく分かります。
ナカツヒコさまはお怖いのです。
なんの苦もなく手に入った大王位。
実際に手に入るまでは、それがさほどのものとはお思いにならなかったことでしょう。
手に入って初めて、ナカツヒコさまは、その権力の大きさ、そして目映いまでのその存在にお気付きになったのです。
決して、誰にも奪われたくないと思えるほど。
すべてにおいて淡泊に生きておいでになったあの方が、初めて執着というものをお知りになった…」
私は溜息と共に言った。
「大王位とは、その存在こそが魔力…ですか。」
同じ大王位にいながら、そんな執着とは無縁だったワカタラシヒコさまを思い出したのか、宿禰どのは遠くを見ながらそう言った。
「そうです。
が、ワカタラシヒコさまと我が背の君は違います。
ナカツヒコさまは、誰もが頷く実力を持って大王となられたわけではなく、また、その血筋においても…。
血の正統性において、ご自身よりはるかに優位にある先々王タラシヒコさまの皇子たちを差し置いて、ご自分が大王になることを神が嘉してくれるのかと、いつもいつも不安におののいておられるのです。」
「そうであれば、大王位など簡単に放り出してしまいそうなお方なのに。
確かに…淡泊なあの方らしからぬ妄執ですな。」
意外そうに言う宿禰どのに、
「大臣よ。
ナカツヒコさまが妙な妄執から解き放たれ、ご自身に自信を持って下さるいい方策はないものか…。」
私は、自分の無力さに打ちひしがれながら呟いた。
「フン。
どうせ、武内宿禰あたりの入知恵だろう。
とんだ茶番だな。」
鼻で笑いながらも、なみなみとつがれた瓶子を口には運ばず、卓子に置いたところをみると、ナカツヒコさまも、少しはこの話に食指を動かされたらしい。
それから幾日も経たないある日、きらびやかな大王の出で立ちで群卿の前に立ったナカツヒコさまは、一つの言挙げをした。
「父ヤマトタケルは、私がまだ元服をしないうちに、すでにお崩れになった。
そのとき、父の御霊は、白鳥となって天に昇られたという。
お偲び申し上げる気持ちは、一日とてなくなったことはない。
父の偉業を讃え、白鳥を捕らえて御陵のまわりの池に飼ってはどうか。
私はその鳥を見ながら、お偲び申し上げる気持ちを慰めたいと思う。」と。
端正な容姿に、華やかな大王の衣装が映えて、日々その姿を見慣れている私ですら息を呑むほど、ナカツヒコさまは美しかった。
まるで神が舞い降りてきたかのように。
群卿たちは、その姿に、今は亡き『英雄ヤマトタケル』を見たのだろう。
どよめきが沸き、それはやがて歓声となった。
誰もがその偉業を認める先々王タラシヒコさまの血は、やはり誰もが認める英雄ヤマトタケルさまに受け継がれ、そしてナカツヒコさまに。
この瞬間、ナカツヒコさまの血の正統性が、歓声とともに受け入れられたのだった。
おそらくは、本人さえもがそう確信するほど。
私はホッと胸をなで下ろした。
ナカツヒコさまの傍らを見ると、
『茶番でも、亡きヤマトタケルさまの亡霊の威力はさすがですなぁ。』と言わんばかりに、宿禰どのが私に目配せをした。
(続 く)
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今回の語り手は、オキナガ姫ちゃんです。 |
「大王位とは、さほどに結構はものでございますか?」
私は言った。
「毎夜毎夜、酒を飲んで浮かれるほどに。」と。
「結構なものかどうか…正直、私にも分からん。」
大王は言う。
「だが、これは、あの人が私にくれた最後で最高の贈り物だからな。
大切にはしたいと思う、いやせねばならぬと思う。」と。
私の皮肉には乗らず、珍しく真剣な目で大王は言う。
「あの人とは?
先王ワカタラシヒコさまですか?」
「『ナカツヒコよ、私は兄上に代わって、お前にこのヤマトを譲る。
ヤマトを実り多き豊かな国にしてくれ。』と、それが私への大王の最期の言葉となった。」
「大王を愛しておられたのですか?」
「妬いているのか? カマミワケよ。」
ナカツヒコさまは、そう言って私の肩に手を回した。
私は、並ぶと私の背丈よりはるかに高い長身のナカツヒコさまを見上げた。
そして改めて思う。
本当に美しいお方だと。
私が物心つくとすぐ、いやその前からずっと身近に侍している高貴な方…。
もし神というものがこの世におられるなら、きっとこのような姿をしているのだろう。
私は、幼い頃から、ナカツヒコさまの宮で育った。
英雄ヤマトタケルがその遠征の途中、戦いの血の滾りに任せて抱いた、一夜の伽に差し出された女…それが私の母だという。
そして父は、私の誕生も知らず、戦に没してしまった。
いや、父は、おそらくは私の母の顔さえ覚えてはいなかっただろう。
そんな皇族の数にも入らない私が、なぜこの宮で育ったのか。
誰も語ってはくれなかったし、私も尋ねたりはしなかった。
私にはナカツヒコさまがいたから。
私はナカツヒコさまの従者でいることに、何の疑問も持たなかった。
「愛などというものは、私には分からぬ。
ただ、その大王の言葉は大切にしようと思う。」
肩においた手に力を込め、ナカツヒコさまは、私にだけ明かす本心を言った。
「それならなぜ、毎夜毎夜深酒をなさるのか。
あまつさえ后のオキナガ姫に暴力をふるうなど、大王のなさることとも思えませぬ。
后とは言っても、まだ愛らしい少女ではありませんか。」
「愛らしい少女? あの女が?」
さも呆れたように両腕を広げて言う大王に、私も負けずに言った。
「ナカツヒコさまだって…
オキナガの姫がお輿入れをした当初は、睦まじくなさっていたではありませぬか。」と。
「睦まじく…と?
はぁ?
あの女がワカタラシヒコさまを殺したのに。」
え?
私は、大王の意外な言葉に驚いて言った。
「何をおっしゃいます。
大王は病を得て亡くなられたのです。
そのようなこと、ナカツヒコさまが一番よくお分かりのはずなのに。」と。
だが、大王は更に言う。
「あの朝、私は見たのだ。」と。
「あの朝とは?」
「大王が身罷られた朝、あの女は急に床から起きあがったのだ。
私は寝ぼけ眼で言ったよ。
『姫よ、怖い夢でも見たのか?』と。
そして抱き寄せて顔を覗き込んだ私は声を失った。
そこにあるはずのものがなかったから。」
「化粧を落として眠った女性に眉がなかったなんて、そんな笑い話をするおつもりですか?」
私の軽口には付き合わず、
「眉の下にあるもの、目がなかったのだよ。」
と、大王は、その朝を思い出したのか眉をひそめてそう言った。
「へ?」
「見た者でないと分からぬだろうな。
本来なら目のあるべき場所が空洞になり、その奥には、これまで私が、いやおそらくは誰も見たことのない世界が広がっていたのだ。」
「大王…。
今、巷の民たちの中で大流行の化け物話の聞き過ぎではないですか?」
「お前は…大王をバカにするのかっ!」
「いやいやそんな…」
「で、あの女は言ったのだ。
『ワカタラシヒコは、今日身罷る』と。
女の声とは思えぬしゃがれた声で。」
「で、本当に先王はその日に身罷られたというわけで?」
「そうだ。」
「で、それ以来、姫が疎ましくなったというわけですね。」
「当たり前だ。
あんな女、触れるのさえ汚らわしい。」
「オキナガ姫の話はともかく。
それを、毎夜の深酒の理由にするなど、男らしくないお方だと言うほかありません。」
私は、大王の夢の化け物話には付き合わず、話を戻した。
「そなたらなどには分からぬのだ、カマミワケよ。
私は誰もが認める実力を持って大王になったのではない。
私が、私より濃い、血の正統性を持つ先々王タラシヒコさまの皇子たちを差し置いて大王になった根拠は、ただ唯一、ワカタラシヒコさまの愛情のみだ。
私の正統性を疑う群卿たちの、民たちの声なき声が私は怖いのだ。」
ナカツヒコさまは、冬でもないのに微かに震え、そう言った。
「大臣、武内宿禰さまだって、豪族としての実力も、皇族としての血の濃さという武器も持たず、ただ先王の愛情のみで大臣の地位に就き、それでも立派に戦っているではありませんか。」
私は不安げな大王を励ますように言う。
「大臣と大王は違う。
大臣位は人が与えるもの。
大王位は神から賜るものなのだ。」
大王は立ち上がると、私に背を向けそう言った。
が、しばらくして向き直ると、
「ただな、あの男が一つの名案を考えた。」
少しだけ頬に血の色を戻し言った。
「あの男とは?
武内宿禰さまですか?」
「そう、あの男らしい姑息な手だがな。」
「それはどういう?」
だが、ナカツヒコさまはそれには答えず、
「明日、私は一つの言挙げをする。
内容は…それまでは内緒だ。」
そう言うと、本当に久しぶりにいたずらっぽく笑い、私に口づけたのだった。
翌日、その言葉通り、ナカツヒコさまは、群卿を前に言挙げをされた。
それは、私には信じられない言葉だったが。
「父ヤマトタケルは、私がまだ元服をしないうちに、すでにお崩れになった。
そのとき、父の御霊は、白鳥となって天に昇られたという。
お偲び申し上げる気持ちは、一日とてなくなったことはない。
父の偉業を讃え、白鳥を捕らえて御陵のまわりの池に飼ってはどうか。
私はその鳥を見ながら、お偲び申し上げる気持ちを慰めたいと思う。」と。
端正な容姿に華やかな大王の衣装が映えて、息を呑むほどにナカツヒコさまは美しかった。
まるで神が舞い降りてきたかのように。
だが私は溜息をついた。
この方は分かっていないのだ。
大臣の掌の中で、反発しながらも甘やかされ慰撫されて、結局は父上の想いも、ヤマトの未来も、その肩に受け取ることはできぬ。
諸国から献上される白鳥を陵の池に放ち、満足そうに眺める大王に、私はついに大王と袂を分かつ決意をした。
「カマミワケよ。
なぜだ?
なぜ、お前は、父上の御霊の化身である白鳥を殺してしまったのだ?」
私は、4羽の白鳥を献じる越国の使人から白鳥を奪い、そして殺した。
「白鳥を殺したのが罪?
白鳥を、生きながら、飼い殺しにしてしまうような大王の命こそが罪なのではないのか?」
私は言った。
「なにをっ!
お前は、越国の使人に言ったそうだな。
白鳥であるけれども、焼いてしまえば黒鳥になるだろうと。
なんたる暴言。
とうてい許されることではないぞ。
それは父上をも冒涜することだ。」
私はそれでもまだ父上の名を口にする大王に絶望して言った。
「父上父上と…。
異母兄上は、自分の立場を守るために父上の亡霊を利用しようとするだけで、父上の本当のお心を理解しようともしない。」
私は主であるナカツヒコさまを初めて兄と呼んだ。
せめては、同じ父を持つ兄弟であるという共感に訴えたくて。
「なに? 異母兄上だと?
遠征の途上、たった一夜の伽に召し出された卑しい女が生んだそなたなど、弟と思ったこともない。」
大王は言う。
「異母兄上がそう思うのは勝手だが、残念ながら、英雄ヤマトタケルの血は私にも流れているのですよ。」
「やかましいっ」
ナカツヒコさまは立ち上がると、容赦なく私を足蹴にした。
何度も、何度も・・・
「大王よ。
本当に父上のお気持ちが分からないのか?」
それでも私は言う。
「お前は何が言いたいのだ?」
ようやく足を止めたナカツヒコさまは、いつものように優しく私の髪をかき上げ、そう訊ねた。
「父上は、死してようやく重責から解き放たれたのに。
なぜ父上の御霊が白鳥に化身したのか。
誰にも、何者にも縛られず自由に大空を舞いたいと…なぜ、そのお心が分からないか!」
「・・・・・」
「白鳥は渡り鳥。
冬が終われば、北の国へと旅立つ。
諸国から献上され、今も御陵で泳いでいる白鳥。
白鳥たちが北の国へと旅立たないわけを、大王はご存じか?」
「白鳥は父上の化身だ。
父上の御霊を守っているのだろう。」
「はっ?
女でも思いつかないメルヘンだ。」
「なにをっ!」
再び立ち上がった大王に、
「羽根の筋を切っているからですよ、大王。
彼らはもう空を飛ぶことができないのですよ。
白鳥たちの羽根をもいだのはあなただ。」
私は言った。
「この男を殺せ。」
大王は力なく言った。
(続 く)
|
今回のお話は、仲哀天皇の巻の冒頭で語られている、大王に献上された白鳥を、大王の異母弟であるカマミワケ王が殺してしまったというお話です。『白鳥でも焼いてしまえば黒鳥になるだろう』というセリフは、ぱいんが考えたわけではなく、本当に書紀に書かれてあります。 |
白鳳ちゃん著の番外編(というか二次創作〜笑)です。
本編の内容とは一切関係ありません…(^^ゞ
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(尚、心臓の悪い方の閲覧はご遠慮下さいませ〜)
「大王。
このように長い間、窓辺におられては体が冷えてお風邪を召してしまいますわ。」
私は言った。
かのカマミワケ王の処刑以来、すっかり元気をなくしてしまったナカツヒコさま。
お好きな御酒を召し上がることさえせず、物憂げに沈んでいるナカツヒコさまに、大臣が一つの提案をした。
誰かが捕らえてきた白鳥ではなく、本当に大空を舞う白鳥をご覧になりませんか、と。
ナカツヒコさまが、大臣の提案を入れて、角鹿(つぬが)に行幸されたのが二月。
以来、一月あまりを、私たちは、角鹿の笥飯宮(けひのみや)で過ごしているのだった。
ナカツヒコさまは、真っ白な雪の上を、または水面に遊ぶ白鳥を、来る日も来る日も、飽かずに眺めた。
そんな穏やかな日々の中で、少しずつナカツヒコさまの頬に血の色が戻るのを、私は嬉しく思ったものだった。
そして、その穏やかな日々は、すれ違っていた私たち夫婦の仲も取り持ってくれたようだった。
私は、窓辺に腰掛けたナカツヒコさまに寄り添うと、その視線の先を眺めた。
そして、羽ばたいている白鳥たちを見て、
「それにしても、美しくて…そして雄々しい。
あの翼で、私たちが見たこともない異国へまで飛んでいけるなんて。」
と言った。
「その次には、『まるでヤマトタケルさまのような』と続くのだろうが、それは違うぞ、オキナガ姫よ。
父上は、美しい方であったかも知れぬが、雄々しいお方ではなかったのだ。」
水面から視線を逸らさず、ナカツヒコさまがポツリと言う。
驚く私に、
「そなたが知っているかどうか分からぬが、私には夭折した兄がいたのだ。
父上と母上の初子。
かの熊襲征伐の凱旋とともに誕生した栄光の皇子。
父上は、兄をたいそう愛していたそうだ。
だが兄は、風邪をこじらせたのがもとで夭折してしまった。
父は、母上の不注意を責め続け、すっかり冷え切った夫婦仲の中で、私と妹は生まれたのだよ。
ナカツヒコさまは続けた。
「分からぬか、姫よ?
兄の死はきっかけに過ぎぬ。
父上は、ご自身の実像とは離れて、日々大きくなっていく英雄ヤマトタケルの幻影に怯え、その苛立ちを、兄を死なせた母への苛立ちにすり替えたのだ。
母を責めることで、小さな憂さ晴らしをしていたというわけだ。
雄々しいだの、英雄だの・・・笑わせる話だろ?」と。
「存じませんでしたわ、そんなこと・・・」
「それでもなんとか保っていた心の均衡が、かの東北遠征で完全に壊れてしまったのだろう。
父上は死すべくして死んだのだよ。」
「憎んでおられたのですか?
父上さまを。」
「そう…少なくとも愛してはいなかったな。
そこがカマミワケとは違うところかも知れぬ。」
カマミワケ…という名に、苦しげに顔をしかめ、ナカツヒコさまは言った。
「カマミワケは父上を知らぬ。
その顔さえも。
だから、皆と同じように、英雄ヤマトタケルとして、父上を思慕することができたのだろう。」と。
あまりに意外な話に返す言葉もない私を労るように、私の肩に手を置いて、ナカツヒコさまは更に言う。
「私は大臣に操られたりはせぬ。」
「操られる?」
私は、あまりにも唐突なナカツヒコさまの言葉に驚き、聞き返したが、ナカツヒコさまはそれには答えず、静かに言った。
「私は、先王ワカタラシヒコさまから引き継いだ、このヤマトを守らねばならぬ。
あんな父であっても父は父だ。
父の名を利用することで、人心が私に集まり、ひいては国が一つにまとまることになるのなら、せいぜい利用させてもらおうと思ったまでだ。
白鳥は口実に過ぎぬ。」と。
「では、どうして、そのお心の内をカマミワケ王にお話にはなりませんでしたの?
今もこうして、飽かずに白鳥をご覧になっているのはなぜ?
やはり思慕しておられたのでしょう? 父上さまを。」
私はそう言うと、肩に置かれた大王の手をとり、頬に押し当てた。
「私には愛など分からぬ。
誰からも愛情など受けたことがないから。」
「それでも愛しておられたのですわ。
ヤマトタケルさまのことも、カマミワケ王のことも。」
私はそう言って、頬に押し当てた大王の手に口づけた。
違う…と言いかけてナカツヒコさまは、再び窓の外を見ると、
「そうかも知れぬな。」
と言って、私を抱き寄せた。
「そうですわ。
だって、そのように鮮明に父上さまのことを覚えておられるのですもの。
ヤマトタケルさまがお亡くなりになったのは、わたくしが生まれる前。
ナカツヒコさまも、そのときはまだ幼くいらしたのでしょう?」
「十を少し越えた頃。
そう、ちょうどカゴサカやオシクマの年頃だな。」
オシクマ王…!
その名を聞いた途端、私は、なぜか胸が締め付けられるように痛み、目を上げて海を見つめた視界が歪んだ。
だめ・・・またいつもの・・・
私の異変に驚いたナカツヒコさまは、私を膝に抱き取り、心配そうに私の顔を覗き込む。
私は思わず顔を覆った。
ナカツヒコさまは、神がかった私を見るのを嫌ったから。
それはまるで化け物を見るように・・・。
目を覆っているというのに、私の視界には、はっきりと一つの情景が浮かんだ。
それはそれは恐ろしい情景が。
なぜそんなことが・・・。
私は再び目を閉じ、ゆっくりと顔を覆っていた手を下ろすと、今度は目を開けてナカツヒコさまを見た。
そして、
「オシクマ王さまは、今どこに?」
と訊ねた。
「オシクマなら、大臣と一緒に、紀伊の国に行っているが。」
「紀伊・・・水・・・海・・・」
私は呟くと、
「だめ! だめです!!
ナカツヒコさま。
早く、早く、オシクマ王さまを助けて!
早くしないと、王は殺されてしまいます!!」
私は、私を抱くナカツヒコさまにしがみついて叫んだ。
「オシクマが殺されるなど、どうして・・・」
驚くナカツヒコさまに、
「見たのです。
オシクマ王さまが、大勢の兵に取り巻かれ、追いつめられて海に身を投げるところを。
今はっきりと、この目で。」
私は言った。
「武内宿禰…。
紀伊国はヤツの故郷だ。
そしてヤマトでも有数の豊かな国。
ヤツは、この豊かな紀伊国の都督(かみ)は、オシクマこそふさわしいと言った。
甘言を弄し、まんまと息子を連れ出したのか…!
だが、なぜ大臣が?」
「そうです。
まさか大臣がそのようなことを・・・。」
「いや、ヤツは最後まで私の登極に反対だった。
今でも、私の皇統が続くのを忌んでいるのかも知れぬ。」
「大臣はそのようなお方ではありませぬ。」
「だが姫は見たのだろう?」
「・・・・・」
「ここで話をしていても埒があかぬ。
私は紀伊国に行く。
なに、これが杞憂に終わるならそれはそれでいいではないか。
姫は安心して、白鳥を眺めていればよい。」
ナカツヒコさまは、そう言うと、幼い子にするように私の頭を撫でた。
まだ震えている私を宥めるように。
翌日、大王は、南海道を巡幸された。
それは、私とカゴサカ王を笥飯宮(けひのみや)に残し、2,3の卿大夫(まえつきみ)と官人のみという身軽な行幸であった。
私は胸を覆う不安とともに大王を見送った。
(続 く)
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はてさて角鹿(→敦賀)に白鳥は飛来するのか…! |