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さて、今回は伽藍のご紹介などしたいと思います〜☆
当麻寺って「国宝」「日本最古の○○」の宝庫なんですよ!!

日本最古の石灯籠(重文)
= 白鳳時代 =
日本最古の梵鐘(国宝)
= 白鳳時代 =




東塔と西塔(国宝)
手前にあるのが「西塔」、奥に見えるのが「東塔」です。天平時代の建物です!!

塔が、両方とも創建時のままそろっているのは、全国でもここ当麻寺だけだそうです〜♪

この写真は、シャクナゲを見た『西南院』から撮影しました。係の方に、双塔を写真に納めることのできる絶好のビューポイントだと教えてもらったんですけど、ちょっと東塔が遠すぎますね…(._.)
残念ながら塔の中に入ることはできません〜
外から見るだけです〜〜〜(^^ゞ




本  堂 (国宝)


内陣(ないじん)は天平時代のお堂で、そのお堂を取り込むように、平安末期に外陣(げじん)が拡張されました。



→の写真の女性は「中将姫」です。

本堂のご本尊である當麻曼荼羅は、この中将姫が天平宝字7年に、蓮糸を使って織ったと伝えられている蓮糸曼荼羅(国宝)を、室町時代に転写したものだそうです。が、こちらは秘宝ということで公開はされておりません〜(ケチ)
ご本尊は、仏様ではなく、「當麻曼荼羅(たいままんだら)」と呼ばれる1枚の絵(重文)です。
といっても、縦・横約4メートルの超巨大なキャンバスに、阿弥陀さまや観音さま、楼閣、宝池などの極楽の有様と、それを心に念ずる方法が描かれているのです。

このご本尊「當麻曼荼羅」は、これまた国宝の厨子の中に納められています。(当たり前ですが、この厨子もまた超巨大です)


「中将姫」の像


★ 中将姫って誰でしょう? ちょこっと触れておきますね 


中将姫は、天平時代に
藤原豊成の娘として生を受けます。
父である豊成は、
藤原鎌足の曾孫であり、「仲麻呂の乱」で有名な藤原仲麻呂の同母兄にあたります。

彼女の出家は16歳の時。
こんな良家のお嬢様が、どうして尼僧になっちゃったのでしょうか…?

実は、彼女の生母は、彼女が幼いときに亡くなってしまいます。
で、継母となった女性から、「継子いじめ」という言葉ではすまないほどの迫害を受けるのです。
そして、父・豊成が「奈良麻呂の乱」に連座して九州に流された際には、この継母、ついに姫を殺そうとまでするのです。

が、彼女はそんな継母を、あえて恨むことなく、万民の安らぎを願い、現世の浄土を求めて都を離れ、そして、ここ当麻寺「中の坊」にて尼僧となりました。
それからも、人々に現世浄土の教えを説き続けた中将姫は、29才の春、不思議にもその身のまま極楽浄土へ旅立たれたということです。
かわいそうではあるけど、とても強い女性ですよね〜〜〜☆

今回、写真は載せていませんが、
本堂の他、金堂や講堂も、中を拝観することができます〜!
入ると、音声案内がかかってきて、お堂の中のお仏像などの説明をしてくれます♪

金堂に安置されている弥勒仏像は、白鳳時代の像で、塑像としては全国最古。
国宝にも指定されています!

実は、単に美しいお花を見たかっただけで、
『花の旅 12ヶ月(関西版)』という本から、当麻寺を選んだんです。
なので、こんなたくさんの国宝と出会えて、すごく得をした気分です〜(^^ゞ

では、当麻寺門前の食堂で昼食をとって、さあ、これからどこに行こうかな…?

当麻寺のオフィシャルHPはこちら

[1]春の花々  [2]当麻寺伽藍など [3]藤原京・甘樫丘

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